清春が語る「少数派」の生きる道、コロナ禍の配信で新たな表現を模索

「ライブの代わり」ではない

―ネーミングを変えないと伝わらないくらい他とは違う、新しい表現ですよね。

うん。決してライブが出来ないからってその代わりのものをやっているわけではないというのが伝わりにくいのがジレンマ。

-“歌を使った生パフォーマンス”というのが言葉としては今のところ一番近いんですかね。“ミュージカル”という言葉だと用意されたセリフやストーリーを演じていることになるけど、『A NEW MY TERRITORY』は別に脚本があってそれに沿ってやっているわけではないし。

即興性が強いですね。同じ音楽の表現でも、ミュージカルやMVって、まず監督や演出家がある程度用意した中で表現するじゃないですか。でも、うちの場合は自分が今伝えたいことというか、その時思いついたことを表現して、それにチームが着いてくる感じなんですよ。カメラワークにしても何にしても。さらに演じてるパートもあったりするから、ライブの舞台監督とも違う。新しい表現ジャンルなんじゃないかなと。

−即興で踊るコンテンポラリーダンスや舞踏に近い感じですかね?

うん、近いかも。それの音楽バージョンという感じ。で、完全に画面の中というか、画角の中での作品ですよね。

−まさにライブの代わりではないですね。

僕にとっての配信というのは、このコロナ禍というか、この数カ月を乗り切るためのものではないんですよ、もはや。まったく新しい積み上げをしていこうとしているんです。ZAIKOというプラットフォームを使っているんですけど、ZAIKOの中には音楽以外にもお笑いとか、いろんなジャンルがあるんです。だから、極端な話、区分けは音楽じゃなくてもいいのかなとか思ったりもします。

-本当はもっと抽象度が高いものをやろうとしている?

うん。抽象度も即興性も高いし、ほぼノーリハ。リハーサルを積んでやるものではないと思います。むしろ、“本番が薄まるから練習するのやめよう”って言い合ってやっていますよ。

-そのくらい、その時の瞬発力で思いついた動きとか感情を大事にしている。ライブは作品を作るという感覚ではないし、そういう面でもベクトルが真逆なんだろうな。

ライブでも、作り込んでやっているのはライブ感が無いかというと、それもちょっと違うんですよね。本来、ライブが得意じゃないアーティストには作り込みも出来ないはずなんですよ。でも今は得意じゃないから作り込む人が多くなってる。体ひとつ演奏だけで上手く表現できないから、映像や効果音を貼ったり照明を凝ったりしちゃう。素の状態でやっても成立する人たちが作り込んだらもっとスゲーことになるじゃんっていうのが本当のライブアーティストだと思うんですけどね。こう言うと、これを読んでる人たちはアイドルのライブを想像するかもしれないけど、ロックの中にも全然たくさんいます(笑)。何ならアイドルよりもダメかも。アイドルの人たちはパフォーマンスのためにレッスンやトレーニングを積んでいますからね。ロックバンドのヴォーカリストは、もっとアイドルやダンスグループを見習った方がいいくらい。

-確かに……。

最近は、配信ライブでそれが露わになってきていますよね。人によっては弱いところが全部丸見えになっちゃってる。

-やっている本人たちも気付いているとは思いますが……。

そもそも、リスナーが分かっていないんですよ。“髪型がカッコ良かった”とか“MCが面白かった”とか、未だにそういう評価しているから。

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