Kroiが語る、「ネオミクスチャー感」を司るグルーヴの背景

いろんな色を混ぜると「黒」になる

─ブラック・ミュージックの影響もそうだし、あと、いろんな色を混ぜると黒になるという意味があるという。

関:そう言うとカッコいいんですけど、じつは裏話としては色云々に関してはあと付けです(笑)。ブラック・ミュージックという方向性に関してはもとからあったテーマでしたけど、特定のジャンルで固めたくないという話をしているうちに色の話が出てきて。それで「このダブルミーニングをバンド名の由来にしよう」ってなったのかな。最初に集まった日にバンド名とライブをやろうと決めたのも大きかったですね。こいつ(長谷部)がめっちゃ突っ走ってライブを決めたんですよ。益田は「ちょっと突っ走りすぎなんじゃないか」って言ってたんですけど(笑)。

益田:曲がないのにライブを決めるのはヤバいだろと思って(笑)。

内田:でも、今思えば俺らはあのときが一番焦ってたんだよね。高校のときから元サンプラーや社会人の人と一緒にバンドをやっていたけど、全然お客さんが付かなくて。このままじゃいけないって焦ってた。

長谷部:そうだね。

千葉大樹:焦りがあったってことはプロになりたかったということ?

内田:そう!

長谷部:最初からそのつもりでバンドをやってたから。

内田:俺は小学生のころからドラムレッスンに通っていたんですけど、そこでけっこう上手い子みたいな扱いをされてきて。

千葉:もてはやされていたんだ(笑)。

内田:そう(笑)、もてはやされて小学生のときから中学2年生くらいになったら普通にテレビに出られるんだろうなと思っていて。それで高校1年生くらいになったときに「あれ? 俺は何やってんだろ」みたいな感じになって。そこからガッツリ、バンドをやるってなったんです。

─Kroiとしてred clothで最初にやったライブの感触はどうだったんですか?

関:正直、そこまでみんな手応えを感じたというのはなくて。で、そのあとred cloth側から「キャンセルが出ちゃったから出演してほしい」と言われて、もう一回出たんですよ。ピンチヒッターという感じだったので、2、3曲しかやらなかったんですけど、そのときにオリジナル曲を2曲やって。それは今やってない曲と、Kroiとして最初に制作して1stシングルとしてリリースした「Suck a Lemmon」だったんです。

─「Suck a Lemmon」は音源として今聴くと、内田くんの声も若いし、めちゃくちゃ初々しいですよね。

内田:そうなんですよね(笑)。

関:その2曲を持ち込んで「出れんの!?サマソニ!? 2018」に応募して、3600組のうち最終の30組まで残ったのでちょっと調子に乗っちゃったんです。でも、最終審査で鼻を折られて2カ月くらいバンドで何もしない時期がありましたね。



─そこから軌道修正できたきっかけは?

内田:いろんなライブハウスを調べ始めたんですよね。

関:「渋谷LUSHとかに出てみたいね」って話ていたら、たまたま渋谷LUSHからオファーが来たんです。「出れサマ」の最終審査をチェックしてオファーをもらって。そこで火がついて。そのライブを皮切りにこちらからもいろんなライブハウスにメールを送るようになったんです。なかなかいい出会いはなかったんですけど、LUSHに関しては最初からめちゃくちゃかわいがってもらってます。

内田:LUSHくらいから本当に心から楽しいライブができるようになった気がします。

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