ブルース・スプリングスティーンが語る音楽の力と米社会、亡き友との絆が遺した影響

「俺とクラレンスの姿に、理想としてのアメリカを重ね合わせようとしていたのかもしれないね」

スプリングスティーンは2000年に発表した「アメリカン・スキン(41ショッツ)」で、アフリカンアメリカンに対する警察の暴力を糾弾した。そのトピックに言及した数少ない白人のロックスターの1人である彼でも、ブラック・ライヴズ・マターのムーブメントが明らかにした真実には打ちのめされたという。「白人至上主義と白人の優遇は、俺が思っていたよりもずっと根深いってことを思い知らされた」。彼はそう話す。「俺は過去3〜4年の間、白人至上主義や白人の優遇を主張しているのは一部の過激派の人間だと思っていた。でも今、それはこの国の大動脈にまで入り込んでしまっているんだ。その事実に衝撃を受けたし、今まで気づかずにいた自分を愚かだと思った」

現在30歳の息子エヴァンがニューヨークシティでの行進に参加していることを、スプリングスティーンは誇りに思っているという。「この社会から人種差別がなくなることはない」。彼はそう話す。「それは事実なんだ。それでも俺は、人々が皆同じアメリカ人だっていう考え方ができる社会は実現しうると信じてる。あのムーブメントには大きな希望を感じているし、それを牽引しているのが多種多様な若者たちだっていう事実にも勇気付けられる。あれは歴史そのものが求めている変化をもたらそうとするムーブメントなんだ」


昨年秋にコルツ・ネックのスタジオにメンバーらと集まった時のスプリングスティーン:(前列左から):ロイ・ビタン、ジョン・ランドー、ブルース・スプリングスティーン、ロン・アニエロ、ロス・ピーターソン (後列左から):ゲアリー・タレント、マット・ペイン、Kevin Buell(Photo by Rob DeMartin)

スプリングスティーンはブルーのルーズリーフ型ノートを開き、クラレンス・クレモンズとBLMについて書いたページを探している。そのページの上部には、アルファベットの「C」が記されていた。彼とクレモンズが時折ステージ上で見せたおどけた仕草や、誰の目にも明らかな2人の絆にオーディエンスが惹きつけられる理由について、スプリングスティーンはこう語っている。「俺たちの姿に、理想としてのアメリカを重ね合わせようとしていたのかもしれないね。それには意図的な部分もあったんだ。俺たちは音楽を通じて、ジョン・ルイスが唱えた『愛に満ちたコミュニティ』っていうコンセプトの意味をオーディエンスに伝えようとしていたから」。今年この世を去った下院議員で公民権運動の活動家だった彼は、生前頻繁にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉を引用し、「あらゆる人間の尊厳と価値を尊重するという、根元的な価値観に基づいた社会」の実現を訴え続けた。

クレモンズが時に困難に直面していたことを、スプリングスティーンは理解している。『明日なき暴走』のタイトルトラックをレコーディングした時、Eストリート・バンドのメンバー構成は白人と黒人がほぼ半分ずつだったが、その状態は長く続かなかった。クレモンズを含む黒人のメンバーたちはツアー中に人種差別を経験したが、バンド内にそういった風潮は存在しなかったという。ドラマーのアーネスト・「ブーン」・カーターは、かつて筆者にこう語った。「メンバーやクルーの中に、人種差別をするような人間はいなかったよ。水を差すのはいつも外部の人間だった」。カーターとデヴィッド・サンシャスがフュージョンのグループを始めるためにバンドを離れて以来、クレモンズはEストリートで唯一の黒人メンバーとして、大多数が白人のオーディエンスの前でプレイし続けた。「彼のすぐそばにいたからこそ、人種差別から目を背けることはできなかった」。スプリングスティーンはそう話している。クレモンズは作家のピーター・エイムズ・カーリンに対し、Eストリート・バンドが1988年に初めてアフリカでライブを行った時に、大勢の黒人のオーディエンスを前に演奏できて興奮したと語っている。「ブルースのコンサートの観客の中に、黒人は数えるくらいしかいなかったからね。紫の花を咲かせる木々と大勢の黒人のオーディエンスに囲まれて、天国にいる気分だったよ」

かつてスプリングスティーンは、ステージ上で頻繁にクレモンズと情熱的なキスを交わしていた。彼の姿を求め、ブルースがステージの反対側まで駆けていくことも珍しくなかった。長い間、彼のその行動は様々な角度から分析されてきたが(クイアという概念、人種差別の打破等)、最近では100%ストレートのロックスターがオーディエンスの視野を広げようとしていると解釈した若い音楽ファンたちが、その写真をソーシャルメディアに数多く投稿している。筆者がそのことを指摘すると、スプリングスティーンは純粋に驚いている様子だった。「冗談だろ」。彼はそう話す。「正直に言うよ。俺はそんなことなんてこれっぽっちも考えてなかった。特に意味なんてなかったし、深く考えたこともない。俺たちは親しかった、それだけさ」

少し経ってから、彼はこう付け加えた。「俺の人生において、あんなにも誰かと深く繋がったことはほとんどない。彼との絆に、そんな知的解釈を挟む余地なんてないんだ。45年間にわたって友情を育んだ最愛の友との関係は、そういう社会学みたいな観点で説明できるものじゃない」

Translated by Masaaki Yoshida

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