ブルース・スプリングスティーンが語る音楽の力と米社会、亡き友との絆が遺した影響

ブルースの才能を見出した、かつてのバンド仲間の死

「昔を思い出したよ」。ドラマーのマックス・ワインバーグはそう話す。「70代の世代ならではというか、経験豊富なミュージシャンだけが持つ知恵と技術、そしてピュアなエネルギーが宿ってる」。また本作は『ザ・リバー』以降、Eストリート・バンドの魅力が最もストレートに打ち出されたレコードだ。後年での再生を試みたような本作のスタート地点、それは死に対する思いだった。

スプリングスティーンにとって初めての本格的なバンドとなったThe Castilesは、ジャージーシティのやんちゃなティーンエイジャーの集まりだった。スムーズでピュアなテナーボイスの持ち主だったメンバーの1人は早い段階から才能の片鱗を見せており、バンドの顔にふさわしい存在だった。George Theissというその人物は、スプリングスティーンをリードギタリストしてバンドに加入させた張本人でもある。「俺たちはモンマスでうろうろしてるガキの集まりに過ぎなかった」。Theissはかつて本誌にそう語っているが、ミドルタウンを拠点としていたThe Shadowsのメンバーだったヴァン・ザントは、それが正確な表現ではないとしている。高校時代のTheissとスプリングスティーンは一緒に登校するほど仲が良かったが、互いの意見が食い違うことも多く、スプリングスティーンが積極的に歌い始めてからは衝突することが増えた。

「2人はバンドの主役の座を争ってた」。Theissの未亡人であるDiana Theissはそう話す。「Georgeは自分の立場が脅かされていると感じてたの」。The Castilesが1968年に解散した後、バンドのヴォーカルの1人がブルース・スプリングスティーンとして名を馳せたのに対し、もう1人のシンガーは脚光を浴びることはなかった。Theissは20歳でDianaと結婚し、大工として生計を立てながら、沿岸地域にあるクラブを中心に活動を続けていた。「ザ・リバー」で描かれる若くして結婚した2人は彼の妹と義弟がモデルだとされているが、彼の頭にはGeorgeのこともあったのではないかとDianaは考えている。

かつての戦友がスターダムを駆け上がっていくのを、Theissは複雑な思いで見ていたに違いない。数年前、Theissが妻と共にスプリングスティーンとスキャルファのハウスパーティに出席した際、彼はバンドによるジャムセッションへ加わることを固辞したという。「陽の目を見なかった不運なミュージシャン、そんな風に見られるのが我慢ならなかったんだと思う」。Dianaはそう話す。「彼も私も、ずっとそんな後ろ向きな気持ちを抱えて生きてきたわけじゃないけどね」。スプリングスティーンは彼のそういう思いを察していたと彼女は話す。「ブルースは彼に、もう1人の自分の姿を重ねていたんじゃないかと思う。自分が辿っていてもおかしくなかった道を歩んだ人物としてね」

「互いに異なる道を選んだっていうだけのことさ」。スプリングスティーンはそう話す。「それ以外に表現のしようがない」。2人はバンドの解散後も時々連絡を取り合っていたが、過去数年は会う機会が増えていたという。2018年7月にTheissが末期の肺がんを患っていることを知ると、スプリングスティーンはチャーターした飛行機でノースカロライナに飛び、病床にいる友人の最期を看取った。Dianaが後から聞いた話によると、彼は帰りの飛行機の中でも一言も口を聞かず、何かに思いを馳せている様子だったという。当時彼は週に5回ブロードウェイのステージに立っており、自身の過去について繰り返し語っていた。The Castilesのメンバーで今なお生きているのが自分だけだという事実を、スプリングスティーンは重く受け止めていた。「死が近づいていることを意識せずにはいられなかった。他のメンバーの多くは若くして亡くなっていただけに、俺にとってGeorgeの存在は大きかったんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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