矢沢永吉がロックで上り詰めるまで 1970年代の楽曲とともに語る

長い旅 / 矢沢永吉

矢沢さんが28歳の時の曲ですね。1978年8月29日に後楽園球場、1979年9月15日に名古屋球場。1970年代の締め括りとなる球場コンサートのアンコール最後の曲でした。後楽園球場の客出しのBGMに「ひき潮」という曲が流れたんですね。これは1973年にシングルでは出ていたんですが、アルバムには入っていませんでした。この曲が今回の『STANDARD~THE BALLAD BEST~』にライブバージョンで収録されています。これについては来週か再来週にお聴きいただこうと思います。



FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」2020年10月矢沢永吉特集Part2。今年がデビュー45周年、10月21日に『STANDARD~THE BALLAD BEST~』をリリースする彼の軌跡を辿る1ヶ月。今週は1970年代編でした。今流れているのは、後テーマ曲で竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

さっき少し触れた1979年9月15日名古屋球場の公演を見に行ってるんですけど、そうか、30歳の誕生日の翌日だったんだと改めて思いました。矢沢さんのずっと年齢を刻んできてますね。30歳以上は信じるな! と言っていたのが1970年代ですよ。そういう反抗的なロックの象徴のようでもあった矢沢さんが、どんなライブをやっているかなと思って見に行ったんです。何よりも驚いたのが、名古屋球場の外に機動隊の装甲車がずらっと並んでたんですよ。1979年ですよ? 「時間よ止まれ」が出て長者番付の一位になった後なのに、まだこんな風に見られているのかと思いました。そんな逆風を物ともせず戦ってきた、生き抜いてきた、扉を開け続けてきたのが矢沢さんの45年です。とはいえ、矢沢さんのキャリアは1970年代の後、つまり、日本で上り詰めた後、どうしたかということが何よりも重要です。その話は来週と再来週、矢沢さんのコメントともにお届けできると思います。



<INFORMATION>


田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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