矢沢永吉がロックで上り詰めるまで 1970年代の楽曲とともに語る

世話がやけるぜ / 矢沢永吉

なんというんでしょうね、この桁違い感と言いましょうか。ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ! みたいな熱がそのままロックンロールになってる曲は、矢沢さんの中にはいっぱいあります。お聴きいただきましたのは、1977年のアルバム『ドアを開けろ』から「世話がやけるぜ」。1stアルバムの『I LOVE YOU,OK』では、プロデューサーがトム・マックという映画音楽で有名な人で、映画『ゴッドファーザー』など手がけた人です。2枚目のアルバムから、矢沢さん自身でプロデュースするようになって、『ドアを開けろ』はプロデュース、曲のコンセプト、アートワーク全てを自分でやられた。そういう意味では、1970年代だけではなく日本ロック史に残る傑作アルバムだと思っております。

チャイナタウン / 矢沢永吉

『ドアを開けろ』からもう一曲「チャイナタウン」。『STANDARD~THE BALLAD BEST~』からお聞きいただいてます。これは、1998年のアルバム『SUBWAY EXPRESS』のバージョンです。1970年代の日本のロックの中では群を抜いてお洒落な曲だと思っておりますが、当時ソロになって3年です。1976〜1977年は日比谷野音、武道館、そして1978年は後楽園球場。これだけのサクセスストーリーというのは史上初めてだったでしょうね。しかも状況は決して順風満帆ではなかった。矢沢のライブは喧嘩が起きる、危険だから小屋を貸さないという会場があったりもして。そういう中で矢沢さんが掲げていた旗は、ロックンロール十字軍。十字軍はキリスト教の遠征のことを指すんですが、あの時は、ロックを日本中に普及させるんだという旗でしたね。デビューした時のレコード会社が、ソロになってから無断でデビュー前の音源を発売した時、レコード会社と戦ったりしたんですね。1975年に吉田拓郎さんたちがフォーライフ・レコードを設立したりするように、ミュージシャンが自分たちの権利に目覚めていくというのが当時だったんだと思います。そういう意味では、“闘う”という言葉が精神的な意味ではなく本当に体を張って戦ってきた。ただ、あまりにそういう生き様がクローズアップされてきて、音楽家としての部分にはあまり日が当たらなかったのではないか? というのが今月の矢沢永吉特集の趣旨の一つです。『ドアを開けろ』の中にはこんな曲もありました。「バーボン人生」。

Rolling Stone Japan 編集部

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