ブルース・スプリングスティーンを今聴くべき理由とは? 誤解されてきた音楽的魅力を再考

フォーク路線における豊穣な歌世界

次に、既に本稿で幾度か言及した「フォーク・ミュージック」的要素について突っ込んで考えてみよう。初期作での「やらされていた」弾き語り風スタイルを離れて、初めて自発的にそうした表現へ全面から取り組んだのは、やはり1982年の傑作『ネブラスカ』だろう。本作はバンドのデモとしてスプリングスティーンの自宅でテープ・レコーダーへ吹き込まれていた音源をもとにしており、弾き語りを軸に曲によってごく簡素な音が加えられているものだ。50年代に実際に起こった連続殺人事件の未成年犯の視点で歌われたタイトル曲をはじめとして、まさしくマーダー・バラッド的な沈鬱さを湛えた作品集であるが、そういったダークな色彩を演出するにあたって、この寒々とした簡素な編成がこの上なくマッチしているように思う。曲想自体は(バンド用デモという性格ゆえ)一部ロックンロール的なものもあるが、最も印象深いのは、アメリカという「バッドランド」の奥底に蠢いてきた地霊を掘り起こすような手付きだ。これは、必然的にアメリカン・ルーツ・ミュージックの豊穣と触れ合う作業でもあるし、現在に続く彼の創作スタンスの重要な要素が現れた記録でもある。

その音像も興味深い。深いリバーブを伴ったヴォーカルが、アコースティック・ギターの金属弦と共鳴するように滲み出してくるとき、本作を一種アンビエント的と形容することにしくはない(その意味で、これは後にダニエル・ラノワのソロ作や、彼がボブ・ディランと共同作業した作品に通じるようにも感じる)。



そしてこのフォーク路線は、1995年の『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』で最初の完成を見せることになる。予てよりジョン・スタインベックの小説、並びにジョン・フォードによる同名映画『怒りの葡萄』(1940)年に描かれた「ダスト・ボウル」時代の大不況におけるアメリカの風景と主人公トム・ジョードの姿にインスピレーションを受けてきたスプリングスティーンが満を持して吹き込んだ本作は、『ネブラスカ』に描かれた物語と長く時代に抑圧されてきた「市井の人々」の精神史を接続するかのような見事な話法によって、彼をあのウディ・ガスリーの正統的後継者の座へと着かせるような遠大な世界を作り上げたのだった。そう、フォーク・ミュージックの芳醇を、現代的な詩作とプロダクションによって蘇らせるに至って、今作によってスプリングスティーンは同時期のボブ・ディランに比肩すべき存在へ上り詰めたと言って過言でないだろう。これ以降ボスは、もうひとりのフォーク界のスターであるピート・シーガー翁との共演で話題となった『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ』(2006年)や、『デビルズ・アンド・ダスト』(2005)をはじめとして、折に触れてフォーク・ミュージック色の濃い作品をリリースしていくのだった。


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