ブルース・スプリングスティーンを今聴くべき理由とは? 誤解されてきた音楽的魅力を再考

元来からの広範な音楽観

まず始めに取り上げてみたいのが、ごく初期キャリアについて。コアなファンには知られているが、彼の本格的な演奏キャリアの発端は、10代の頃地元ニュー・ジャージーで活動したザ・キャスティールズというバンドに遡る。ロックンロールの名曲や、ザ・ビートルズ、ザ・フーなどのブリティッシュ・ビート、あるいは同時代のソウルやR&Bから直接的に影響された、今で言うところのガレージ・パンク的なサウンドを聴かせるローカル・バンドで、スプリングスティーンはそこでギターを担当していた。ヴォーカリストとしてではなく、元々彼がギタリストとして始動したという事実は思いの外重要に思う。後に全盛を極めるシンガー・ソングライター・ミュージック的な弾き語り+バック演奏という単純な図式ではなく、あくまでアンサンブル全体を見通そうとするある時期から貫徹されてきた彼の大方針というべきものは、この時期に萌芽を見ることができるだろう。キャステイルズによる貴重な音源は、先述の自伝の副読的作品としてリリースされたコンピレーション『Chapter and Verse』で聴けるので是非聴いてみてほしい。

今となってはかなり意外な感があるが、この時期の彼は、ニュージャージー・シーン屈指の速弾きギター奏者として認知されていたようで、そのギター・オリエンテッドな方向性がリーダー・バンドでの演奏へ繋がっていく。スティール・ミルと名付けられたそのバンドにおけるスプリングスティーンのプレイは、後の彼の音楽に親しんできた方ほど驚くだろう。巧みなギターさばきは勿論、その音楽性はほとんどグランド・ファンク・レイルロードなどの初期アメリカン・ハード・ロックを彷彿とさせるものだ(これも同じく『Chapter and Verse』で聴ける)。スティール・ミルは当時、あのフィルモア・オーディトリアムのオーナー、ビル・グレアムの目に止まりオーディションを受けたこともあるというから、もしスプリングスティーンがこの路線でレコード・デビューしていたらその後のロック音楽史はかなり違ったものになってのではないか。

これらの例からわかることは、ときに一辺倒なロックンロール・パーソンだと思われがちなスプリングスティーンが、元来からその実相当に広範な音楽観を蔵した人物であったということだ。後の彼一流のロックンロールは突然に発生したものでなく、様々な蓄積の上での果実であったことがわかるだろう。



ザ・キャスティールズとスティール・ミル時代のナンバー

こうした視点と関連してみるとき、一部ファンからは未だ失敗作などと形容されることのある初期ソロ作品、『アズベリー・パークからの挨拶』(73年)と『青春の叫び』(74年)に対する違った評価も呼び寄せるだろう。初期マネージャーであるマイク・アペルとジム・クレテコスがプロデュースを担当したこの2作は、一般的にスプリングスティーン自身が自らの音楽的アイデンティティを確立する前の習作ともされているが、むしろだからこそ、様々な音楽的な懐を開陳しようとした記録として興味深い。まず前提として、CBSの伝説的A&Rマンであるジョン・ハモンドを前にしての弾き語りオーディションでデビューのきっかけをつかんがことが影響し、CBS及びマネージメント・サイドは彼をセカンド・(ボブ・)ディラン的なキャラクターで売り出そうと画策していた(ハモンドはボブ・ディランをCBSにスカウトした男でもある)。あわせて、先述の通り70年代前半はいわゆるシンガー・ソングライター・ブームの真っ只中で、アコースティック・ギターと歌、簡素なバッキングというプロダクションが主流化していた時期だった。そのため、地元で繰り広げてきたタフなロックンロール・レビュー・スタイルでの録音を求めたスプリングスティーン自身との思惑とどうしてもすれ違うことになっているのだ(特に1stアルバム)。

しかしながら、今あらためてデビュー作を訊いてみると、そのナロウな音質含め、この「控えめな」アンサンブルだからこそ表現された味わいがみなぎっているとも思える。スプリングスティーンのアコースティック・ギター・ストロークはごく小気味よく、フォーク的朴訥(彼がディランからも大きな影響を受けていることは確かに事実だ)とロックのドライブ感が入り混じったネイキッドな質感は、まさに初作ならではというべき青々しい躍動がある。バッキングのリズムを突き抜けて走り進むような速射砲がごときヴォーカルもその印象を一層補完する。



次の『青春の叫び』は、かねてより筆者お気に入りの一枚なのだが、まずは冒頭の「Eストリート・シャッフル」を聴いてもらいたい。R&B的なホーン・リフを交えたパーティー・ナンバーで、1stにあったフォーク的なキャラクターからはみ出ようとする強い気概がある一方、特にリズム面からはソウル・ミュージック的洗練も濃く匂い立っている。初期Eストリート・バンドを支えたデヴィッド・サンシャスのクラヴィネットとヴィニ・ロペスのドラムスはまさに「ファンキー」の見本たるもの。特にヴィニ・ロペスのプレイは当時から批評家筋からの評判が悪かったらしく、確かに後の竹を割ったようなバンドのグルーヴとは似ても似つかないが、ストリート的猥雑と洗練の融合という点から、渾身の演奏と評してもよい気がする(特に3:36〜ブレイク明けからの展開! これはいわゆる「フロア・ユースフル」というやつですらあると思うのだが)。その他、メロウなフォーキー・チューン「7月4日のアズベリー・パーク」の甘辛さ、「57番通りの出来事」におけるフォーク・ロック期のボブ・ディランに通じる爽やかさ、スプリングスティーン流ロックンロール最初の成功形である「ロザリータ」の疾走感、クラシック音楽から拝借したピアノ・フレーズすら交じる壮大な「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」など、雑多だからこそ立ち上がってくる若きスプリングスティーンの音楽的包容力と蓄積が聴きものだ。



ちなみに、時代は飛ぶが「失敗作」関連でもう一つ再評価しておきたいアルバムがある。それは、1987年にリリースされた『トンネル・オブ・ラブ』だ。一般にこの作品は、スターダムを極め尽くしたボスが一瞬の安らぎを求めた「例外的」な作品とされることが多く、相変わらず大セールスを記録したとはいえども、場合によっては音楽的な「低迷期」の入り口とする論調もあるようだ(AOR風のジャケット写真に戸惑ったファンも多かっただろう)。確かに、今作でもEストリート・バンドを従えているにせよフィジカルな質感は希薄で、デジタル楽器/録音特有の質感が前景化したプロダクションだ。しかし、今になって考えてみると、このマイルドな質感はむしろ、昨年リリースの『ウェスタン・スターズ』における西海岸ポップの趣味に通じるようなミドル・オブ・ロード路線の端緒としてみることも可能なのではないか。特に注目したいのが、ひときわソフトな「ウォーク・ライク・ア・マン」や「ワン・ステップ・アップ」、もはやバレアリックとすらいえそうなイントロが意外すぎるタイトル曲などだ。シンセサイザーによる柔和なアトモスフィアとスプリングスティーン流ポップネスの融合は他の作品では得難い本作だけの特徴であり、それこそ、ウォー・オン・ドラッグスの音楽と本作との間に補助線を引いてみたい誘惑にも駆られるのだった。


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