笑えるくらい中身のない『エミリー、パリへ行く』に誰もが夢中になる理由

『エミリー、パリへ行く』で主人公エミリーを演じるリリー・コリンズ。(Photo by STEPHANIE BRANCHU/NETFLIX)

Netflixで配信がスタートしたロマンチックコメディ『エミリー、パリへ行く』には、いまを生きる私たちの生活の実態があまり描かれていない。だが、人々を夢中にする秘密はそこにあるのかもしれない。

こんな世界があるなんて、あなたは想像できるだろうか? 業務のために飛行機でヨーロッパに飛び、そこではピンヒールと石畳がワインとチーズのように相性抜群で、誰もあなたの名前なんて知らないけれど、あなたが来てくれたことを無条件に喜んでいる。そう、Netflixにはそんな世界があるのだ。その名は、『エミリー、パリへ行く』。

「いままでずっと人に好かれようとしてきた」とライトなロマンチックコメディの主人公エミリー・クーパーは、恋人候補の男性に語る。「それってかなり悲惨な目標だね」と言う彼に対し、「ほんとそう」とエミリーは答える。

『エミリー、パリへ行く』は、少し浅はかとも言える軽い作品であると同時に迎合的な作品でもある。同作は、視聴者の気分を害さないようにと必死に気を遣いながら、全10話のフレンチ・ドリームへと視聴者を誘う。そこでは、どんなトラブルもパリに広がるマンサード屋根に降るレモンキャンディのように溶けてしまうのだ。視聴者は、マカロンのように甘くて軽やかな25分間でエミリーの新しい人生の冒険を目の当たりにする。シカゴの会社でジュニア・マーケティング担当として働いていたエミリーは、上司の代わりにフランスに転勤になる。そこでエミリーは、高級ファッションブランドを顧客に抱える代理店のSNSキャンペーンを運営しなければならない。そうそう、言い忘れていたかもしれないが、私たちのヒロインは、ひと言もフランス語を話せない。

>>予告編動画はこちら

たいていの人にとってはかなりストレスフルな状況だ。だが、エミリー(演:リリー・コリンズ)はショッピングバッグを2つほどぶら下げながら、シャンゼリゼ通りを闊歩するかのような気楽さでこの状況に臨む。犬のフンを踏んでしまう朝もあれば、会社の住宅補助で借りたアパートメントのシャワーが故障したり、隣人のエネルギッシュなセックスのせいで眠れなかったりなど、当然、あちらこちらでトラブルに見舞われる。だが全体的に見れば、エミリーは争い事とは無縁だ。『セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)』を手がけたダレン・スターが全シリーズをとおしてエミリーに仕掛けたトラブルの数は、『SATC』のオープニング画面で主人公キャリー・ブラッドショーに降りかかるそれと比べるとかわいいものだ。

それなのに、笑えるくらい中身のない同作が公開から二週間で、なぜアメリカで3番目に人気のNetflix番組という地位に着いたのだろう? アメリカ人にはセンスがないからという理由はさておき、明確な答えがひとつある。2020年のアメリカは、新型コロナ、歴史的な被害をもたらした森林火災、恐るべき地震やハリケーン、さらには終末を予感させる大統領選シーズンなどに見舞われた。だからこそ、私たちは可能な限り気軽で困難のない道を選びたいのだ(『エミリー、パリへ行く』は、アダム・サンドラーの最新作『ヒュービーのハロウィーン』と『アメリカン・パイ』のガールズ版スピンオフ作品『Girls’ Rules(原題)』とともにNetflixトップ10にランクイン)。『エミリー、パリへ行く』の大前提がロジックを超えたものであるとすれば、各エピソードがもたらす催眠的な体験によってそんなロジックさえもが消え去り、脳の思考を司る部分が停止する。気づけば視聴者は、親知らずを抜くために20分前に麻酔をかけられた状態で歯科医を見るようにぼんやりと画面を見つめているのだ。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE