笑えるくらい中身のない『エミリー、パリへ行く』に誰もが夢中になる理由

エミリーの世界には、しかめっ面(ムカついた)、八の字のような眉毛(困った)、思案顔(考え中)、キス顔(Instagram用)のような愛くるしい表情や肩をすくめるジェスチャーで払い除けることができない困難なんて存在しない。何かがうまくいかないとき、エミリーは新しい同僚たちに向かって声高に「セ・ラヴィ!(これも人生よね!)」と実際のフランス人はあまり言わない言葉を口にする。さらには、私たちなら何日も化粧室で泣くことになる職場のわずらわしい問題はどうだろう? そんなものは、ホワイトニングした真っ白な歯がまぶしいエミリーの笑顔と次から次へと湧いてくる名案によって解決してしまう。ご覧のとおり、エミリーは本能に従って動いているのだ。メモを見たり、競合他社のリサーチをしたり、何も映っていないパソコン画面を見つめてインスピレーションが湧くのを待つ必要なんてない。エミリーが口を開けば、企画が出てくるのだから(業績不振のシャンパーニュ・メゾンに対し、エミリーは「『スプレー』としてシャンパーニュを売り出しましょう」と提案し、この大胆不敵な提案は先方に受け入れられてしまう。それは生産者一族が何百年にもわたって創りつづけてきたものがアメリカ人には飲み物ではなく、パーティでシェイクして掛け合うものとしてふさわしいと言うような行為だ。ああ恐ろしい!)。

ここまでストレスフリーな人物にありがちなことに、エミリーはどんな“学び”にも一切興味がない。フランス語教室に入学するものの、8話になっても話せるのは「ボンジュール」と「ヴー(あなた)」くらいだ(それでも、エミリーはノンストップのおしゃべりでフランス人の隣人や同僚を魅了する)。フランス人の上司のエレガンスを称賛する一方、上司の黒のオールインワンやエレガントなラップドレスをまねるのではなく、クレアーズ(訳注:カラフルな米カジュアル・アクセサリーブランド)のカタログをぶちまけたかのようなコーディネートで出社する(『SATC』のスタイリングを担当したパトリシア・フィールドが自らの名前を付したキッチュなブランドが大活躍)。エミリーは、一方的に届くランジェリーや無理矢理のキスといった年配の男性クライアントのセクハラをフランス人だからと受け入れる一方、同年代の男性に「アメリカ人のアソコ」が好きと言われると、愕然としてしまう。

スター製作陣に支えられた『エミリー、パリへ行く』は、往々にして%MCEPASTEBIN%と比較されがちだ。だが、実用的とは程遠いピンヒールでよろめきながら街を歩く女性の登場人物たちと、いたるところに隠された仕掛けを除き、『エミリー、パリへ行く』と同作のルーツと言われている『SATC』の共通点はあまりない。同作を観ていると、ファンキーな気力にまつわる個人的なエピソードが飛び交い、付箋が捨てられては戻されるライター室の光景が浮かぶ。さらに同作は、古臭い80年代のシットコム(シチュエーション・コメディ)の様相を呈しており、フランスのパリとインディアナ州のパリの区別もつかない人々が執筆しているのでは? という気分にさせられる。実際『SATC』には無駄と軽薄さがあふれていたものの——街でもっとも人気のクラブに行ったり、アパートメントの頭金で500ドルの靴をクローゼットいっぱい揃えたり——同作のテーマは女同士の友情であり、うまくいかない結婚生活や不妊といったリアルな問題を描いていた。『エミリー、パリへ行く』は、『SATC』のようにカルチャーを細かく描かないだけでなく、その原動力にもなっていない。ただ、幸せな無知に乗じて表面を滑っているに過ぎないのだ。

エミリーの年齢を特定するのは困難だが、このファンタジーは、エミリーと同じミレニアル世代に極めて強い効果をもたらすだろう(鮮やかな色彩のミニスカートとビーチを想起させるふんわりとした定番ヘアスタイルが特徴のエミリーの推定年齢は、12歳以上〜リアリティ番組『Real Housewife(原題)』の出演者以下と言ったところだろう)。エミリーの恋愛も複雑ではないものの、一応存在している——このドラマでは、セクシーな男性は誰もがエミリーの虜になるようだ。それは、コロナ禍のはるか前からささやかれていた、最近の若者はもうデートなんかしない、という残念なトレンドとは対照的だ。

Translated by Shoko Natori

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