レディオヘッド『キッドA』20周年 絶望を描いた問題作が今の時代にも響く理由

未来に可能性を見る音楽

『キッドA』を織りなす横糸に、今に連なる神話的な名声を呈することとなるひとつの契機があったとしたら、それは2000年の12月12日だろう。アメリカ最高裁が同年11月の大統領選の結果を退けて、フロリダ州を票の集計から除外した日だ(もっと正確に言えば、共和党に依頼された、9人中5人の陪審員がそうしたのだが――偶然にしては出来すぎだ)。心底驚かされる。前代未聞。しかし、白昼堂々と実際に起こったことなのだ。12月12日を目の当たりにしても、『キッドA』にまつわるすべては誇張され、パラノイア的で、ややヒステリックにすぎるとおもうだろうか? むしろ、時代にぴったりなものに聴こえるようになった。こんなことが起こりうるのだろうか? いや、これは実際に起こったのだ(“This was really happening”)。

このアルバムは、90年代の得難い成果である政治的な利益が儚く消え去ってゆくのを見守る悲嘆に満ちたサウンドトラックとなった。Y2K(2000年)の選挙の夜、カウチに座ってジョージ・W・ブッシュが負けたはずの選挙に対してもったいぶった勝利演説をしているのを眺めたあと、私はコメディ・セントラルにチャンネルを変えた――笑いが欲しかったのだ。すると放送されていたのは「サタデー・ナイト・ライブ」の再放送で、1993年のチャールズ・バークレーのエピソード、音楽ゲストはニルヴァーナだった。カート・コバーンが「ハートシェイプド・ボックス」を歌っている最中だ。彼の声をあのタイミングで聴くと、すでにして想像の埒外にあった夜が余計不条理に思える。無為に費やしたものはあまりに多く、あまりにあっという間だった。90年代は終わった。おい、待て、また不満がでてきたんだ(“Hey, wait, I got a new complaint”)。

この音楽にはなにか、不気味にも2000年の秋にぴったりくるところがあった――同じ理由で、2020年の秋にもぴったりの作品になっている。ほんの数週間前にルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなった夜、クエストラヴがソーシャルメディアに姿を表して、3時間にわたるレディオヘッドのDJセットを披露した――彼いわく、「チョップド・アンド・スクリュード、俺たちは騙されてる(※)」。それは悲しみを耐え抜く彼なりの自然な試みだったが、「イン・リンボー」「ツリーフィンガーズ」「オプティミスティック」の物悲しいトーンを伴って、とても力強いものだった。彼のテーマはこうだった。「意気消沈する週末、それでいい!」

※訳注:原文はchopped and (we’re) screwed、DJの技法であるチョップド・アンド・スクリュードと「騙される」の意のscrewがかかっている。

ある意味、これは『キッドA』と同作の遺産に対する究極のトリビュートだ。それは絶望を取り込んで、怒りへとつなげる音楽なのだから。諦めることを拒絶する音楽。未来の側が拒もうとも、未来に可能性を見る音楽。それが『キッドA』がこれほど多くの人々の琴線に触れた理由だ。20年後の今、それは『キッドA』がこれまで以上にもっと刺激的に――そしてもっと必要に――響く理由でもある。


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From Rolling Stone US.

Translated by imdkm

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