セックス・ピストルズ「最後のライブ」から振り返る、パンクという夢の終わり

ピストルズ解散、パンクが果たした功績

そして翌日、ジョニーはセックス・ピストルズ脱退を宣言する。この時のいきさつは当事者それぞれの証言の食い違いがありはっきりとしない。だがジョニーがマルコム抜きでのセックス・ピストルズ存続をスティーヴとポールに提案するが拒絶された、というのが真相のようだ。

「スティーヴとオレはマルコムを排除してバンドを続けることが正解だとは思えなかった。あとになってジョニーの言う通りだったとわかるんだけどね」(ポール)

スティーヴとポールはリオデジャネイロに向かい、ジョニーはロンドンに帰る交通費もない一文なしの状態でサンフランシスコに取り残された。シドはオーバードーズで人事不省となり入院するハメになっていた。結局ジョニーは現地の友人に援助してもらいロンドンに帰った。マルコム、スティーヴ、ポール、そしてシドによってセックス・ピストルズという名での活動はその後も続いたが、それも長くはなかった。

そして1978年10月、シドはガールフレンドのナンシー・スパンゲン殺害容疑で逮捕され、保釈後の1979年2月にヘロインのオーバードーズで死亡する。パンクのもっとも凝縮された純粋な象徴であり、アイコンでもあったシドの死によって、名実ともにパンク・ロックは終わった。その頃、ジョニーは本名のジョン・ライドンへと戻り、新グループ、パブリック・イメージ・リミテッドの革命的なデビュー・アルバム『Public Image: First Issue』をリリースしたばかりだった。時代はピストルズ的なものを置き去りにして、はるか先へと進んでいたのである。
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最後に個人的なことを言えば、私はピストルズに出会って完全に人生を変えられたクチだ。あの時彼らの曲を聞いていなければ、今の自分は絶対にない。パンクが登場した最大の意義とは、それまでのロックが積み重ねてきた歴史や物語は一切無効であり、ここから先は何もない空虚であると宣したことだった。ジョニー・ロットンのニヒリスティックな哄笑の裏に見える虚無感は、なにもない空っぽな時代を生きるしかないという諦念を示していた。だが彼らに続く世代にとって、それは歴史や伝統、既存の秩序や価値観という重い鎖から解き放たれたということであり、マニュアルもガイドもない代わり、自由で無限な可能性が目の前に開けているということでもあったのだ。

だが、ラジオで「アナーキー・イン・ザ・UK」を耳にした瞬間の横っ面を張り飛ばされるような異様な衝撃と、それまで聞いていたオールドスクールなロックが片っ端からガラクタになっていくような、そびえ立つ建築物がすべて崩壊して目の前が一気に開けていくような感覚を、今の人に理解してもらうのはなかなか難しいとも思っている。今セックス・ピストルズのアルバム『勝手にしやがれ』を聞いても、良くできたオールドスクールなロックンロール・アルバムという以上の感想を持つことは難しいだろう。ラスト・ライブの映像は、ピストルズをピストルズたらしめていたものが欠落した結果の、いわば残骸にすぎない。 

ピストルズの、パンクの衝撃は、それを体験した者の言葉の中にしか存在しないのかもしれない。気負った言い方をすれば、それを語り継いでいくのが私の使命だと思っている。

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