マライア・キャリーが密かに制作した「グランジ・アルバム」と歌姫の知られざる素顔

“余り時間”の即興セッション

チックの唯一のアルバム『Someone’s Ugly Daughter』は、日に14時間にも及んでいたヒットアルバム『デイドリーム』の収録が一旦終わった後のニューヨークはヒットファクトリースタジオで、曲が書かれるそのそばからそのままレコーディングされていくといった形で行われていた。

「別人格みたいなアーティストを頭の中で創りあげて、だから、それこそジギー・スターダストみたいにバンドまででっちあげたのよ」

同書で彼女は、さらにこう続けている。

「私のキャラは髪の色の暗い陰気なゴス少女で、ビアンカっていうの。彼女がバカバカしくも痛々しい曲を書き、それを自分で歌っている」

ちなみに、この彼女の分身たる黒髪(ブルネット)のビアンカは、数年後に「ハートブレイカー」のビデオにおいて実際に世に姿を見せることになる。



長年マライアのプロデューサーを勤めてきたデーナ・ジョン・シャペルはしかし、マライアがこのアイディアを『デイドリーム』のスタッフに初めて示した瞬間については、残念ながらきちんと覚えてはいなかった。ただ、この実験の突発性と楽しさについてはこの限りではなかったようだ。毎晩、真夜中頃を迎えると、現場の音楽性の方向はすっかり明後日の方を向き、巻き込まれた誰も彼もがこのマライアの即席ロックバンドに加わった。プログラマーのゲイリー・シリメリがギター、プロデューサー/ソングライターのウォルター・アファナシェフがドラムス。そして主役のマネージメント事務所の一人がベースを持たされた。

「大体は自然発生的で、ほとんど即興みたいなものだった」

1991年から2005年にかけてマライアのメインエンジニアを務めてきたシャペルは、ローリングストーン誌の取材にこのように応じてくれた。

「彼女はあそこに努力なんてものは一切突っ込みたくなかったのさ」

●【画像を見る】1995年のマライア・キャリーと『Someone’s Ugly Daughter』ジャケット

『Someone’s Ugly Daughter』の制作は、ひょっとすると2カ月も3カ月もかかるような仕事となっていてもまったく不思議ではないだろう。しかし実際には、真夜中過ぎの“余り時間”だけでちゃっちゃとまとめ上げられていったのだ。

「ほとんどの場合、彼女は声に出しながら曲を作っていたよ。軽やかでね、10分か15分もあれば一曲できあがっていた」

彼はこうもつけ加える。

「そこら辺のクッションに座っているうちに、歌詞の一部とか曲のアイディアを思いつく訳だよ。すると次の日には仕上がってる」

Translated by Takuya Asakura

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