ロバート・プラントが語る「ツェッペリン以降」の音楽人生、亡きジョン・ボーナムの思い出

ロバート・プラント(Photo by Mads Perch)


亡きジョン・ボーナムの思い出

—最近『あの頃ペニー・レインと』のキャメロン・クロウ監督にインタビューしたんですが、ジミー・ペイジとあなたに映画を見てもらったときのことを語ってくれました。ビリー・クラダップが「俺は輝ける神だ」(I am a golden god)と言うシーンで、ペイジが「俺あんなこと言ったか?」と言うと、「俺が言ったんだ」と叫んだそうですね。「俺は輝ける神だ!」と発したのはなぜですか?

プラント:初期のレッド・ツェッペリンのころは、その都度出てきた発言は単なる面白半分さ。あれも何かふざけていた時だったと思う。多分ボンゾの誕生日パーティをビバリーヒルズかどこかでやって、誰かが3段重ねのケーキを作ったんじゃなかったかな。俺たちが何かやってるところに、ジョンが部屋中の人間にケーキを見せて回っていて、たしかジョージ・ハリスンがケーキに空手チョップを食らわせた。ボンゾがただじゃ置かないぞと思って騒ぎが起きて、よくある子供じみた悪ふざけが始まった。ただ、さらにナンセンスなことを言ってその場をまとめる人間がいなかった。それで俺が両手を広げて高らかに宣言したのさ。そのあとケーキのかけらを鼻の先っぽに食らったけどな。



—今年の9月25日はジョン・ボーナムの没後40周年でした。当時の彼の印象はいかがでしたか?

プラント:すごいのひとことさ。長年親しくして、もう死んでしまった人間は大勢いるが、彼の存在はいつも案じている。一緒に冒険に踏み出した仲だったからな。ツェッペリンをやる前にも、2~3のプロジェクトでかかわったことがある。いつも揉めて、最後はどっちかが痛い目を見る羽目になったがね。でもツェッペリンではいつも一緒で、同じ車に乗って、空港から帰って、故郷のウェールズの田舎の家へ戻っていた。最後の最後までずっと一緒だった。まさに同じ釜の飯を食った仲間だよ。

俺は今も彼と生まれ育った場所に住んでいるから、彼の存在はいつも感じている。俺の知り合いと同じように、彼の昔からの知り合いも大勢いる。事情があって離れる以外は、このあたりを出たことはない。だから彼の存在はいまもしっかり残っている。地元の連中とともに。彼の物理的な存在や彼の個性が記憶に残っているのはもちろんだが、彼の業績、彼がリズムとドラムで世界に貢献したことは、他の誰よりもずば抜けていた。彼とジョーンジー(ジョン・ポール・ジョーンズ)のおかげで、レッド・ツェッペリンは当時の他のバンドとは一線を画すことができた。2人が重要な要だったんだ。もう40年、俺たちにとって彼がいなくなったことは今も大きな損失だ。でも夜中に曇り空を見上げると、きっとどこぞのパブで冗談をかましてるんだろうなと思うよ。もちろん比喩的な意味でね。

—本当に才能あるドラマーでした。

プラント:ああ、本当に。あの感覚は最高だ。彼の感覚は万能だった。ある晩シカゴのサウスサイドのバーニング・スピアでボビー・ブルー・ブランドを一緒に見に行ったことがあるんだ。奇妙な薄暗いクラブでオーケストラが演奏してて、俺たちが入っていくと、ジョンは立ち上がって「ファーザー・アップ・ザ・ロード」とか「ターン・オン・ユア・ラブ・ライト」とかを演奏して、ものすごかった。奴がああいう感覚の持ち主だったから、ミュージシャン全員が彼のほうに身を乗り出すんだ。ボビー・ブルー・ブランドと演奏したときも、後年「フール・イン・ザ・レイン」を演奏したときも、当たり前のように演奏していた。あれはちょっとしたものだったよ。


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From Rolling Stone US.

Translated by Akiko Kato

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