ロバート・プラントが語る「ツェッペリン以降」の音楽人生、亡きジョン・ボーナムの思い出

ツェッペリンとソロ、作風の繋がり

—個人的に気になったのは、レッド・ツェッペリンの歌詞をはさみこんでいますよね。「ダンス・ウィズ・ユー・トゥナイト」では“ダンシング・デイズ”と歌っていますし、「グレイト・スピリット」では"祝祭の歌”(sing in celebration)とか“永遠の偶然”(the accident remains the same)といったフレーズが出てきます。前作の「メイ・クイーン」という曲も、「天国への階段」を思い起こさせます。意識的に過去を引き合いにしているのですか?

プラント:ああ、その通りさ。だがメイ・クイーンは俺にとって、歴史や民族芸術、民話という意味でも俺にとって大きな存在だった。(『ディギング・ディープ』の中では)「チャーリー・パットン・ハイウェイ」が最高だと思う。「この車は堂々巡り、永遠の道のり」(This car goes ’round in circles, the road remains the same)

—私も気づいていました。

プラント:君、さすがだな。俺も「こいつはウケるな」と思った。本当のことを言うと、あの曲は(曲を書いた日に起きた)実話なんだ。あの日俺はミシシッピー州コモにいて、クラークスデールに向かって車を走らせていた。そしたら「ぐるぐる回ってばかりじゃねえか、おいおい、日が暮れちまう」。そしたらちょうど聞いていた地元のラジオ局で(チャーリー・パットンの音楽が)流れてたのさ。

だが、そういうことをするのは確かに好きだ。一貫性をもたせる――いや一貫性というより、別のタイミングで触れる、というのがな。そういうのは山ほどある。いろんな曲でね。



—「ニュー・ワールド」は現代版「移民の歌」という印象を受けました。ご自身ではどう思いますか?

プラント:まあそうだな、ある意味ではそうだ。確かに、ペイジと俺が(「移民の歌」を)書いたのは、アイスランド公演を終えた後だった。もちろん、子供のころからずっとこういう島国の(侵略の)歴史、民族運動や文化運動にはずっと興味があった……北部イングランドもすべて、ずっとバイキングの領地だったんだ。リバプール北西部のマン島も、たしかデンマークの王様が14回だかそこら入れ替わり立ち代わりしていた。だから確か、そうかもしれない。

だいぶ経って「ニュー・ワールド」を書く前に、サウスダコタを旅してケント・ネルバーンという作家と会ったことがある。『Neither Wolf Nor Dog』から始まる3部作の小説を書いた作家だ。俺も彼の作品に相当傾倒したよ。ネイティヴ・アメリカンとアングロサクソン文化の一部を扱った作品だ。俺もアメリカに来てからずっとアメリカの構造や複雑さついてそれなりに考えていた。だがそれぞれの州に都市や地方がいくつもあって、世界中のいたるところから人が集まって暮らしているから俺も本腰入れて考えたことはなかった。オースティンの中心で数年間滞在してみて初めて、とくに南北ダコタやワイオミングの実際の状況の概要や詳細に目がいくようになった。おかげで現実や実際の状況が前よりもずっと理解できるようになったよ。

Translated by Akiko Kato

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