リンキン・パーク、2002年の秘蔵インタビュー「俺たちを強くしたのは不屈の精神」

ホームレス生活を送りながら、夢の実現を信じていたチェスター

1998年、ジェフ・ブルーから電話があった日から約1年前のある日、フェニックスで活動していたバンドのリハーサルを終えて帰宅したばかりだったベニントンは、音楽を辞めるつもりだと妻に告げた。

「『もう音楽はたくさんだ!』って叫んでた」。サマンサはそう話す。「私は彼にこう言ったの。『あなたが音楽を辞めることは私が許さない。1時間ラジオに合わせて歌うなり、ギターを弾いてくれるっていう約束も果たしてもらってないもの』。さらにこう言ったわ。『私にはわかるの。きっといつか、ロサンゼルスから電話がかかってくる。あなたはその時に備えておかなきゃ』って」

「愛している人を支えたいと思うのは当然のことだから」。そう話す彼女の隣で、チェスターはその通りと言わんばかりに首を縦に降っている。「本気で取り組んでいることは、やっぱり楽しむべきだと思うもの」。チェスターがLAでオーディションを受けることになった時、彼女は成功を信じて疑わなかった。「必ずうまくいくと思った。実力を出し切れずに悔やむようなことになれば、後で拷問のような苦しみを味わうことを彼が自覚してるのを知ってたから」

リンキン・パークへの加入後、ベニントンは即座にスターダムを駆け上がったわけではない。サマンサがLAに移住する準備を進めている間、彼は友人や親戚の家を転々とする半ホームレス生活を送っていた。時折寝床にしていた自分のクルマは、どうしようもないオンボロだったという。「アクセル全開でも時速55キロ位しか出なかった」。彼はそう話す。「ライトが2つ壊れてたけど、修理する金がなかった」。『ハイブリッド・セオリー』のレコーディング中、スタジオに泊まれない場合は車中泊していたベニントンは、朝になるとスタジオ内のソファで横になり、メンバーたちがやってくるまで体を休めていた。

「しんどかったよ」。ベニントンは当時をそう振り返る。「他のメンバーたちは気心が知れた仲間同士だったけど、俺は正気を保つことで精一杯だった。気が狂いそうになっても、取り乱したところを彼らの前で見せるわけにはいかない。いつも何かしらに文句をつける典型的なリードシンガー気質の男、そんな風に思われたくなかったんだ」

没頭するベニントンの姿に、メンバーたちは全く逆の印象を抱いていた。「俺たちみんな何かしらの犠牲を払っていたけど、チェスターは特別だった」。デルソンはそう話す。「いろんなものを背負ってたあいつは、誰よりもやる気に満ちてた。『俺たちならもっとやれるはずだ』そう口にしたこともあった」

Translated by Masaaki Yoshida

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