リンキン・パーク、2002年の秘蔵インタビュー「俺たちを強くしたのは不屈の精神」

「俺たちは音楽業界の慣習には興味がない」

レコード会社から無視され続けていたハイブリッド・セォリー時代、ヒップホップのアーティストの多くがそうであるように、彼らは主に口コミでファンベースを築いていった。自らがバンドのストリート・プロモーションチームとなり、インターネットと郵便の両方を用いてファンを増やしていった。ユーザーの関心を引く目的で他のバンドのウェブサイトにメッセージを投稿したり、デモ音源のMP3をアップロードするなどし、反応を示してくれた相手にはTシャツやステッカー、テープなどを無償で送付した。「俺が当時住んでたアパートの隣にあった郵便局のスタッフはキレてたよ」。ボードンはそう話す。「特別郵便用の箱は無料だったんだけど、俺がごっそりいただいてたからね。箱詰め作業はそのアパートでやってたから、リビングはいつも宅急便の営業所みたいだった」

地に足をつけたままでいるために、リンキン・パークは現在でも同じ行動原理を実践している(同じくWarner Bros.にいたハイブリッドというバンドからの申し立てを受け、彼らは再度名前を変えなくてはいけなかった)。ツアーに出るときはいつも、彼らはバスを2台出す。片方は作曲とレコーディングを目的としたモバイルスタジオであり、もう片方はメンバーが体を休めるため以外のスペースを排した簡素なものだ。車内での飲酒や喫煙は禁止であり、ゲストを連れ込むことも禁じられている。ベニントンがサマンサを同行させる場合は、他のメンバーたちはモバイルスタジオのバスにとどまった。

そういったポリシーはバンドの楽屋にも見られる。「仕事の場に余計なものを持ち込まないことにしてるんだ」。高校を卒業した頃はパーティ三昧だったが、過去5年間酒を断っているボードンはそう話す。「ツアーに出るバンドは毎晩パーティして酔っ払う、俺たちはそういう業界の慣習には興味がないんだ。毎日酔っ払ったまま出勤する人間なんていないだろ?」

「そういう価値観を他人に押しつけるつもりはないよ。サイプレス・ヒルと一緒にツアーに出てるわけだしね」。そう言って笑い声を上げたシノダは、アートスクール時代のことをこう振り返る。「俺がつるんでた連中はパーティよりも、絵を描いたりアートについて語り合ったりする方が好きだった。このバンドもそういうスタンスなんだよ。俺たちの練習風景や日頃の行動を見れば、それが伝わると思う。音楽はそれ以外の目的に使われるべきじゃない」

彼はこう続けた。「俺たちには音楽がすべてなんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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