リンキン・パーク、2002年の秘蔵インタビュー「俺たちを強くしたのは不屈の精神」

週に約10万枚のペースで売れ続ける『ハイブリッド・セオリー』

彼らが収めた成功は桁違いだ。2000年10月にWarner Bros.からリリースされたリンキン・パークのデビューアルバム『ハイブリッド・セオリー』は、これまでにアメリカ国内だけで600万枚、全世界で1100万枚を売り上げた。オルタナティブ・メタルとヒップホップ、そしてターンテーブリズムを融合させた12曲からなる同作は、ジェイ・Zやイン・シンク、ブリトニー・スピアーズらのアルバムを抑えて、2001年アメリカで最も売れたレコードとなった。同作は現在でも、週に約10万枚のペースで売れ続けている。


『ハイブリッド・セオリー』のアートワーク

ベニントンのほか、バンドの結成メンバーであるギタリストのブラッド・デルソン、ラッパーのマイク・シノダ、ドラマーのロブ・ボードン、DJのジョセフ・ハーン、そしてフェニックスことベーシストのデヴィッド・ファレルからなるリンキン・パークは、2月27日に開催されるグラミー賞においても、最優秀ロック・アルバム賞と最優秀新人賞を含む3部門でノミネートされている。初めての映像作品となったDVD『Frat Party at the Panhake Festival』は売上ランキングのトップ10に入り、昨年11月に発足したオフィシャルファンクラブの会員数は既に1万人を突破している。「毎週何かに驚かされてるよ」。現在25歳のベニントンはそう話し、大きく息を吸い込んだ。

他のレコード会社の重役たちは悔しさに涙したに違いない。3年間、リンキン・パークはあらゆるメジャーレーベルから却下され、数多くのインディからも無視され続けた。1999年末にバンドと契約したWarner Bros.も、過去に彼らからのオファーを3度見送っていた。1997年に彼らのライブを初めて観た後にバンドの育成を買って出たブルーは、ロサンゼルスのクラブで行われたXeroのショーにA&Rの人間を大勢招いた時のことを覚えている。3曲目が始まる頃には、その全員が会場を後にしていたという。「フロアは無人だった」。『ハイブリッド・セオリー』のエグゼクティブ・プロデューサーであり、現在はWarner Bros.のA&Rのトップを務めるブルーはそう話す。「見事に空振りだったよ」。ベニントンがバンドに加入した1999年の時点で、バンドはレーベルの人間を招いたショーケースライブを42回行っていた。「ひたすら無視されてたんだよ」。彼はそう話す。

現在の状況からは想像もつかないような話だ。バンドは現在、ハリウッド北部にあるSound Stageで、サイプレス・ヒルとのジョイントツアー「Projekt: Revolution Tour」のリハーサルに励んでいる。ギャングスタのアティテュードとは無縁の轟音とシャウトを放つ彼らは、エレキ版エミネムというよりは初期のフェイス・ノー・モアを彷彿とさせる。大きなヘッドフォンを付けたまま演奏する、集中力の塊のようなデルソンはU2とザ・スミスからの影響を公言しつつも、「クローリング」や「ペイパーカット」ではハーモニクスを含んだパワーコードに終始する。ハーンは自身で組んだサンプル(彼は他のアーティストのレコードからはサンプリングしない)を収録したカスタムメイドのレコードをスクラッチし、デルソンのギターを背後から支えるかのようなアンビエントノイズを生み出す。「ラナウェイ」ではボードンが生み出すファンクのリズムに合わせ、ベニントンとシノダが互いの唇が触れそうな距離でシャウトとライムを交換しており、その体は痙攣を起こしたかのように小刻みに震えている。

Translated by Masaaki Yoshida

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