シャーデーが1985年に語った、音楽との出会いと「引き算の美学」

当時のシャーデーが思い描いた未来

この野卑さや悪目立ちすることへの嫌悪もまた、表に出てくるシャーデーという人物像に色濃く反映されているようだ。そもそも彼女が取材を受けること自体が相対的に非常に少ないのである。それにほかのアーティストと反目するようなこともない。そして、ポップスターというものがフリート街に軒を並べた、あの大小のマスコミらによって執拗に追い回される宿命を負わざるを得ないような同国においても、彼女の記事がゴシップ欄を飾ることも起きていない。現在の彼女は北ロンドンの閑静なハイブリーで、ロバート・エルムスとシェアハウスをして暮らしている。この人物はジャズファンのジャーナリストで、流行の牽引者でもある。

雨の中、バス停から家までの道のりを歩いて帰り、チラシのうらに「メイク・ア・リヴィング」の歌詞を書きなぐり始めた夜から、彼女ははるばる今のこの場所までたどり着いた。なお虚飾とは無縁のまま居心地よい暮らしを楽しんでいる。1984年というのはだから、シャーデーにとっても素晴らしい一年だったのだ。

目の前に横たわる新たな挑戦についても彼女はしっかりと見据えている。

「私たちにはちゃんと何かがあると思ってもらえる、そういった証明になるようなレコードを作りたいと思っているわ。キャリアの初期のうちから大きな成功を収めたアーティストに対しては、誰もがとても懐疑的になりがちだから。自分でもね、それは私たちに“何か”があったからだと証明したいの。だから『ダイアモンド・ライフ』に続く作品もすごいものにしたいのよ。バンドとしての可能性を広げ、さらなる前進になるような一枚。だって私たちはまだ始まったばかりなんですもの。やらなくちゃならないことは山ほどあるわ。確かに『ダイアモンド・ライフ』は成功した。でもそれはそれ。もうお終い。私たちはようやくバンドとして一緒にやっていくことに慣れてきたばかりなの。私自身どうにか歌うということに慣れてきたところでしかないし。今はいろんな物事に晒されて、ただただ勉強しているわ。知恵熱の真っ最中よ。私たちが受け取った反応はものすごいものだったから、周りもまた、私たちに途轍もなく多くを期待してくれいていることはわかっているのよね――」

考え込むようにそこで言葉を切ったシャーデーは、たぶん自分では吸うつもりもなかっただろう新たなもう一本の煙草に火をつけてから、最後にこう続けた。

「でも、歌うことと曲を書くこととについて一層の自信が持てるようになったことは本当よ。この先の道のりはきっとまだまだずっと長いんだろうとしても、ね」

※本記事はローリングストーン誌1985年5月23日号に掲載されたもの。

From Rolling Stone US.

Translated by Takuya Asakura

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