ジョン・レノンとオノ・ヨーコの展覧会開幕、鑑賞前に知っておくべきエピソード

ジョンとヨーコの出会いのきっかけとなった作品とは?

1973年、「Imagine」の思想を受け継ぐ架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言したジョンとヨーコだったが、アルバム『マインド・ゲームス』をリリース前に別居。ジョンは個人秘書のメイ・パンと共にロサンジェルスへ移り住む、いわゆる「失われた週末(Lost Weekend)」を1年ほど過ごすことに。その間にハリー・ニルソンやジョン・ボーナムらと各地で繰り広げた乱痴気騒ぎは、今なお語り草となっている。

1975年、別居生活を終えたジョンとヨーコは一人息子のショーンを授かり、それからの5年間、ジョンは「専業主夫」となり子育てに専念する。1976年、念願だったグリーンカードを取得したジョンとヨーコは、ショーンを連れて何度も日本を訪れていた。また、表立った活動は控えていたものの、自宅での音楽制作は続けており、その時の音源は『ジョン・レノン・アンソロジー』(1998年)にも収録された。

1980年、再び音楽活動をスタートしたジョンは、ヨーコとの共作名義のアルバム『ダブル・ファンタジー』をレコーディング。2人の共同プロデューサーにはジャック・ダグラスが起用され、トニー・レヴィン(キング・クリムゾン)やヒュー・マクラッケン、アンディ・ニューマーク(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)ら名うてのセッション・プレイヤーが参加している(有名な写真は篠山紀信によるもの)。アルバムは11月にリリースされたが、その一月後にジョンは狂信的なファンの凶弾に倒れ、12月8日に永眠する。

『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』は、そんなジョンとヨーコのあまりにも有名なエピソードを、貴重な展示物と共に振り返る内容である。時系列に沿って展開されており、会場に入るとまず目に飛び込むのが、壁の両端に貼られたジョンとヨーコの幼い頃のポートレートだ。そのまま並行に進んでいく2人の生い立ちを交互に読み進んでいくと、国籍も、育った環境も、表現活動のスタイルも全く異なる2人のアーティストが後に偶然出会い、「世紀のカップル」と呼ばれるようになることに、不思議な感慨を覚えてしまう。

最初の見どころはやはり、ジョンとヨーコの出会いのきっかけとなった作品「天井の絵」と「釘を打つための絵」だ。「天井の絵」は白い脚立を昇っていき、天井のボードを備え付けの虫眼鏡で覗くと小さく「yes」と書いてあることが分かるというもの。当時、アヴァンギャルド・アートに懐疑的だったジョンは、この作品のポジティブなメッセージに救われたとのちに話している。一方「釘を打つための絵」は、鑑賞者がキャンバスに自由に釘を打ち付けられる作品で、「オープン前に釘を打つには5紙リングが必要」とヨーコに言われたジョンが、「想像の5シリングを君に払うから想像の釘を打たせくれ」と返したエピソードもよく知られている。

【画像】ジョンとヨーコが出会った1966年インディカ・ギャラリーも再現(写真13点)

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