エディ・ヴァン・ヘイレンはなぜ偉大なのか? 天才ギタリストが音楽界を席巻した6つの理由

エディ・ヴァン・ヘイレン、1979年撮影(Photo by Paul Natkin/Getty Images)

現地時間10月6日に亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンの功績を今こそ再検証。“タッピング奏法”をあまねく知らしめるところから、自らの「斧」の改造に至るまで、この時代の断裁者(shredder)がどれほど音楽を変えてきたのか明らかにする。

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ヴァン・ヘイレンがデビュー作『炎の導火線』を発表するその前年、ロックにおける大きな要素といえば、長く重苦しいソロと、逆にセックス・ピストルズやラモーンズによる、黎明期への回帰を目指したようなリフだった。そこへ「暗闇の爆撃(Eruption)」が襲った。エディ・ヴァン・ヘイレンはたった102秒でロックギターという語義そのものを書き換えた。ちょうどジミ・ヘンドリックスや、あるいは彼自身のヒーローでもあるエリック・クラプトンが10年前にやりとげて見せていた通りに、だ。ひらひらと舞い踊るかのような旋律にレーザー照射のような打弦(リック)と、まさに海面をざわつかせる急降下爆撃さながらの一連だった。40年以上を経た現在でも、同曲は胸騒ぎを誘わずにはいない。たとえギターを弾かない人間でも、こう思わずにいられないはずだ。

「これはいったい、どうやってやってるんだ?」



ヴァン・ヘイレンは独学の神童だった。最初に始めたのはドラムだったが、兄のアレックスが彼の前にあったキットに、爪で“お払い箱”と刻み込んだ時、彼とパートを交代する形でスティックをギターへと持ち替えた。「暗闇の爆撃」は『炎の導火線』のレコーディングの際に、アレックスとエディが二人だけでライブの予行演習のつもりで即興で演奏していたものである。しかしプロデューサーのテッド・テンプルマンがこれはアルバムに収録するべきだと主張した。

「俺はやりたいと思ったことはなんでもやるんだ」

最初の大きな取材となった1978年のギタープレイヤー誌上でのインタビューで、エディはこのように言っている。

「あまり考え過ぎるといったことはしない。そこがこのバンドにいることの美点だよ。全部がのびのびと、勝手に出てくるんだ」

この開拓精神が、以後おおよそ40年にわたった彼の生涯のすべてにおいてエディを引っ張っていった。10月6日に癌による悲劇的な死を遂げてしまうまで、ということになる。彼がロックミュージックにもたらした革新は、枚挙に暇がない。楽器の奏法を、急進的ともいうべき勢いで先鋭化したのみならず、その製造方法や、あるいは音の鳴らせ方に至るまで、すっかり定義を改めてしまったのである。あの名高き“フランケンシュタイン”のギターは2019年にメトロポリタン美術館で開催された“喧しく鳴らせ(プレイ・イット・ラウド)”展において展示されることともなった。また、彼のギターのうちの別の一本は一度スミソニアンを飾ってもいる。これらもだが、彼が芸術と文化に及ぼしたその影響を表わしているたった二例に過ぎない。以下、彼が“ロックンロール”という言葉そのものにもたらした大いなる貢献について語ろうと思う。

Translated by Takuya Asakura

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