10-FEETが明かす、寂しさや悲しさを乗り越えたくなる「歌」の力

10-FEET


―「シエラのように」を今回、表題曲にするにあたっては、そういう曲調が大きかったと思うのですが、歌詞に込めた思いやメッセージも大きかったんじゃないか、と。今回、こういう曲ですと謳っているわけではありませんが、5月に亡くなられたTAKUMAさんのお父さんのことを歌っているように僕は感じましたが。

TAKUMA:それもね、考えることなくやっていたので。もちろん親父が亡くなったから親父に向けた曲を作ろうとも思ってませんし。できあがってからですけど、あの時、寂しい思いをしていて、コロナもあって、そういう自分から零れる歌詞を、ひたすらここに書いたんだなって。だから、その時の自分が書いた歌詞としか言えないというか。きっと、その時にあった悲しいこと、悔しいことが体中に流れながら曲を作っていたと思うから、親父のことは入っているかもしれんなと僕も思ってます。ただ、頭で考えてやったという感じではなかったです。ほんまにこれはね、何かに向けて歌おうとか、何かを歌おうとかじゃなかったんですよ。お酒を飲んでベロベロに酔っぱらって、ギターを渡されて、何か歌ってと言われて、歌詞も何もないけど、コードをなんとなく弾きながら、歌ったら、こんな言葉が零れてきた。そういうメロディであり、歌詞であったなと僕は思っているんです。で、それがとても良いと思ったんですよ。

―はい。

TAKUMA:たとえ、しっちゃかめっちゃかに歌っても、きっとこの楽曲とメロディは、それが不完全なものでもあっても、誰かに届いた時には、その人にとっての完成形が十人十色というか、それぞれにきっとあるなと思ったんです。それはいったんできてからですけどね。作っている時は、ぐわーって書きながら全部が不完全やなと思ってたんですよ。いつもやったら、ここから「何々だから、どうです」とか、「だからどうしましょう」とか、「だからこうなんだよね」とか、もうちょっと付け加えると思うんですよ。でも、それをしなかった。直感というか、感覚というか、でも、確信はあったというか、信じていたんですよ。どの1行も未完成で、見方によっては、よくわからなかったり、ネガティブに受け取られたりするような文だなとは思うんですけど。


TAKUMA

―確かに、そういうところはありますね。

TAKUMA:文字だけ見てたらね。でも、それが音楽になって初めて、1行1行が不完全やっても、そこに込めた思いはきっと浮き出る気がする。なんでそう思うかっていうと、自分がまずそうだったから。ぐわーって書いて、ぱっと見たら、けっこう悲しかったり、寂しかったりしたんですよ。たとえば、《信じられないことは 信じることでしか 生まれないなんて 今の僕には眩しすぎて》なんて、「昔はできたけど、今は無理やねん」にも取れるようなことも決して、まったくもってネガティブな気持ちで歌ってないんですよね。もうギンギンギラギラで、魂を震わせて歌っている。真っ暗なところから一番明るいところに向かって、歌っているような歌詞であり、歌であり、楽曲だと思っているんで、ここにたとえば起承転結をつけるとか、1行1行が誤解のないように最後に何々だねって加えましょうとかってやると、きっと魔法みたいなものがなくなってしまうというか、音楽、ロックの力みたいなものがなくなるなと思ったんです。逆を言うと、この形が一番、ロックするのに、歌うのに、演奏するのに、鳴らすのに似合っていて、きっと変幻自在に熱いものとなって、飛んでいく気がするんですよ。

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