SUGIZOが今だから語る、仲間たちとの出会いと「ライブアルバム」にこだわった理由

30代中盤、孤独感や異物感に苛まれていた時に書いた歌詞

-2日目はTERUさん、TAKUROさん(GLAY)をゲストに迎えていますが、そこでコラボレーションした「巡り逢えるなら」という曲は、SUGIZOさんが詞を書かれているんですね。

この曲は、2005年頃に僕が別のユニットでやっていたものなんですよ。それがすごく気に入っていたので、いずれちゃんと自分のソロでリアレンジして形にしたいなと思っていたんです。

【画像】TERU・TAKURO(GLAY)と競演するSUGIZO(写真)

―“僕は何を探していたんだろう? 僕は何を許せばいいんだろう?”と自身への問いかけのような詞が印象的です。

これを書いた当時まだ30代中盤で、いろんなことにぶつかって躓いて転んでということを繰り返していた時期だったんです。自分が生まれてきた意味、生きていく理由をいつも探していて、世界の中にポツンと独りぼっちでいるような、自分だけが世の中の流れから切り離されているような孤独感や異物感に苛まれていた時だったので、それが詞にも表れていると思います。

なぜ今回この曲をチョイスしたのかと言うと、その時の詞が今の時代とすごくマッチしていると思ったんです。学校でいじめに遭っている人や障がいがあって無力感を感じている人、病気を患っている人など、そういう生きることに躓きかけている人たちと当時の自分の感覚が同じ目線だということに気づいて、これをTERUが歌うことによって人々を救済できる歌になるっていう直感があったんです。TERUもまた稀有なヴォーカリストで、どんな状況でもそこに光を差し込む……なんて繊細な表現じゃなく、バーン!と光を当てちゃうんですよ。“ほら、こうすれば気持ちいいでしょ? 悩むことなんてないんだよ!”っていう、ある意味強引なポジティヴ男というか(笑)。無理矢理みんなを幸せな方向に引っ張ってしまう力があるんですよね。それってすごいことで、TAKUROをはじめメンバーが良い曲・良い詞を書いても、歌い手がこうじゃなかったら、GLAYは今のような存在には絶対にならなかったはず」

-もともとはSUGIZOさんの孤独から生まれた曲が、TERUさんが歌うことで救いの歌に昇華したと。TAKUROさんの参加も、SUGIZOさんとはまったくアプローチの違うギターの音が入って面白いですね。

そうそう。1人ブルージーな奴がいる。例えて言うなら、デヴィッド・ボウイの「Let’s Dance」のハイパーな音の中にブルージーなスティーヴィー・レイ・ヴォーンがいるみたいな。そのミスマッチ感がカッコいいなと思って気に入っています。

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