日本のアングラから世界へ アジアンアーティストが世界で活躍する方法とは?

ーKirkさんも日本から海外へ活動拠点を移されたという共通項がありますが、「実力」と「人の縁」は海外へ羽ばたくための重要な要素でしたか?

Kirk:そうですね。僕は元々、地元大阪のアンダーグラウンドシーンで地元のクルーと一緒にラップをやっていたんです。その時にお世話になった方の縁で、ChingyやDJ Unkの前座をやらせてもらって、チケットを売り捌いたりしていました(笑)。そういうことをしていく中で知り合ったNYの実業家Ejovi Newereにスカウトしていただき、コロンビアレコードからメジャーデビューしたんですよ。メジャーデビュー後も、M-floのVERBALさんにお世話になったりもしました。ある時、AKONが東京に来た時に知り合った方のサポートで、アトランタでライブのお仕事があったんですよ。そうしたら、すごい反響が大きくて興奮しました。その後、湘南乃風のHAN-KUNさんのサポートでNYでライブをやる機会があったのですが、その時に「絶対行ける。もう俺、グローバルでしかやらんとこ」って決めたんです。

ーなぜ、そう思ったんですか?

Kirk:ライブ前に、ブルックリンが地元のBrotherたちにSay Helloしても無視されたんですよ。僕はBlackの血が流れているけれど、日本育ちでアメリカと韓国のハーフです。彼らは日本人のセレブと一緒にいる自分のことを「なんだこいつ」と思ったのでしょう。それで「本気で認められないとダメだ」と思って全力でパフォーマンスをしたら、ライブ後に彼らが優しく接してくれたんです。グローバルシーンは実力主義だけど、本気でやれば認めてもらえるんです。



ーDANTZさんもアジア人として海外で活動をするにあたって、人種の壁を感じることはありました?

DANTZ:ありましたよ。海外ではアジア人のDJって本当に少ないんです。街を歩いてて物を投げられることもありましたし、エレベーター乗ったら笑われたこともありました。オランダ語で「平べったい顔しやがって」と言われたりとか。アジア人だったら絶対誰でも経験することだと思いますね。

ーステージ上でも、人種の壁を感じることはありましたか?

DANTZ:ステージに上がると、より差別が大きくなるんです。特に僕の場合は、クラブミュージックの中でもややオーバーグラウンド寄りなジャンルのポップなHOUSEやEDMを流していたので、オーディエンスの人数が多い分、アングラシーンよりも人種の壁を感じることが多かったです。ヘッドライナーになり始めた頃、僕がステージに上がった瞬間に数千人もの白人のオーディエンスたちが一気に後ろを向いたこともありました。僕らはアニメや漫画などの日本文化を彼らに紹介するのではなく、彼らの文化に入り込んでいる身なので、その分彼らの見る目も厳しいんです。テクノ系のクラブにブッキングされた時に、エージェントに「EDMなどのポップなものをかけろ」と言われてその通りにしたら、オーディエンスから詰められて殴られそうになったこともあります(笑)。でも、いい音楽をしっかりやるとオーディエンスは認めてくれるんです。日本だと、一度ついたイメージを払拭するのに時間がかかると思いますが、海外だといい音楽をやれば、見方を変えてくれる。だから、いい音楽をやり続けることが、人種の壁を取り除くためのひとつの解決策なのだと思っています。

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