日本のアングラから世界へ アジアンアーティストが世界で活躍する方法とは?

DANTZ(左)とRay Kirk(右):Photo by Hitomi Umemiya / Christopher Tadeo (CUT IT MEDIA)


ー「ULTRA EUROPE」など、世界各地の大規模フェスでプレイされているDANTZさんですが、元々は日本で活動されていたんですよね。なぜ、海外で活動するようになったのでしょうか?

DANTZ:日本では西麻布にあったWAREHOUSE702や渋谷のWOMBでプレイをしていたのですが、15年前に雑誌の企画でオランダのフェスでDJをさせていただく機会があったんです。滞在中にオランダの老舗クラブ「ESCAPE」に遊びに行った時に、衝撃を受けて。同じクラブミュージックシーンでも、日本とオランダでは全く違ったんです。



ー具体的にどのような点が違ったんですか?

DANTZ:まず流れている音楽が全く違いました。当時の日本は今よりもリアルタイムの情報が入りにくかったものの、自分では最新のハウスミュージックを掘って、流しているつもりでした。しかし、オランダで流行っている音楽はもっと最先端で。クラブの音響設備や演出も、日本のクラブを遥かに上回っていて、日本は少し遅れているのだと感じました。それで「自分にはこっちの方が合っていると」と思い、活動の拠点をオランダに移したんです。

ー今や世界的有名フェスのヘッドライナーとして出演されるほど、世界的DJであるDANTZさんですが、その地位を得られるまでにどのような道のりがあったのでしょうか?

DANTZ:オランダでの活動を決めた時、まず「ESCAPE」でプレイをしたいと思い、デモテープを送ったんです。それがきっかけで、最初はオープン後のわずかな時間だけやらせてもらえるようになって。そのうちに「もう少し鳴らしていいよ」と徐々に認めてもらい、レギュラーイベントにも出演させてもらえるようになりました。「ESCAPE」はアムステルダムにある数千人規模の大きなクラブなのですが、そこでレギュラー出演するようになったことがきっかけで、オランダを代表するフェス Amsterdam Dance Eventでもプレイすることができたんです。

ー実力で勝負しながら、駆け上がっていったんですね。

DANTZ:僕の場合チャンスをいただけたことも大きいです。ポルトガルの有名DJであるDiego Mirandaと共演した際に、彼が「お前はグローバルに活動した方がいいよ」と言ってくれて、彼の海外ツアーに帯同させてくれたんですよ。「チャンスは俺が努力して作る。1ヶ月間一緒にツアーを回って、DANTZがDJできる状況は作るから。その代わり、ギャラや渡航費は出さない。自分の力をアピールしろ」と言われ、1ヶ月彼と一緒にツアーを回ったら、お金を出しても僕を呼びたいと言ってくれるプロモーターが現れたり、他のアーティストからも「絡もうよ」と話が来たりして。そのうち、ギャラや渡航費も貰えるようになって、2年後にはヘッドライナーとして大きいクラブでプレイできるようにまでなったんです。グローバルシーンは、実力主義ですが、本気でやり続けていればDiego Mirandaのようにフックアップしてくれる人もいます。

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