日本ポップロックの革命の時期 1980年代後半の佐野元春作品を振り返る



田家:新生THE HEARTLANDのソウルロックという感じですね。

佐野:前作『VISITORS』は、ちょっとやりすぎたと思った。アバンギャルでエッジー。音楽好きな連中はいいねって言ってくれたけど、もっと多くの人に僕の音楽を届けようとするならどうだろう、と思った。そこで自分の中から少しメロディを戻したんだよね。そうやって『Café Bohemia』を作りました。それまでのHIPHOP、ファンクから、どちらかというとノーザンソウル的な柔らかいソウル音楽に移行していった時期でした。

田家:この曲の主人公は仕事をしている人であり、ストリートキッズではありませんよね。

佐野:僕の音楽の聞き手も10代から聞いてくれて、そろそろ仕事を持つという年齢にさしかかっていた。

田家:この"Bohemia"っていうイメージは詩人のアレン・ギンズバーグと話している中で出来きたというふうに聞きましたが。

佐野:自分の中ではボヘミアイズムというキーワードは10代からあって。当時僕が編集していた雑誌「THIS」の中でアレン・ギンズバーグ氏にインタビューする企画があって、"あなたの中ではボヘミアンをどう定義していましたか?"って質問したときに、彼は「国際的なマナーを持つべきだ」という答えをしてくれて、なるほどなと思った。

田家:佐野さんの方から投げかけたんですね。やはり、ボヘミアンというのはビートニクと並んである種のライフスタイルの形でもあった。ツアーは「Café Bohemia meeting」という形でコンサートツアーを“ミーティング”というのも、それまであまり例がなかったでしょう。

佐野:ある評論家にちょっと固いよって言われたけど、そうかな? って思った。今でいえばコミュニティの意識だから。ミーティングというのは逆にクールな表現だと思っていた。

田家:かっこいいと思いましたけどね。そして1988年に初のライブアルバムにもなった。バンドの話は今後も何度か出てきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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