ラルフ・マッチオが語る、『ベスト・キッド』続編ドラマ『コブラ会』製作秘話

『コブラ会』でダニエル・ラルッソ役を演じたラルフ・マッチオ(Photo by Guy D’Alema/YouTube/Sony Pictures Television)

Netflixの『コブラ会』配信を記念し、ラルフ・マッチオが俳優人生においてもっとも有名な役をふたたび演じることになった経緯、ミヤギ役に三船敏郎を起用しようとしていたことや、映画『ベスト・キッド』のタイトル候補について語ってくれた。

「これは空手ホームドラマなんだ」とラルフ・マッチオは『コブラ会』を的確に表現した。『コブラ会』とは、映画『ベスト・キッド』(1984)の世界観をよみがえらせた『ベスト・キッド』の続編シリーズである。『コブラ会』でマッチオは、中年になった『ベスト・キッド』の主人公ダニエル・ラルッソを演じている。父親になったダニエルはカーディーラーのオーナーで、いつかはミスター・ミヤギのような“センセイ”になって未来の空手選手を育てたいと思いながら日々努力を重ねている。シーズン1と2(当初はYouTubeのために制作)がNetflixで公開され、シーズン3の公開が待たれるなか、マッチオが『コブラ会』、『ベスト・キッド』、80年代の名声との対処方法、映画『クロスロード』(1986)の栄光など、さまざまな話題について語ってくれた。

ードラマでミスター・ミヤギの家を再現したシーンがありましたが、あれには驚いたと同時に感動しました。そのときの印象は?

映画『ベスト・キッド』で使った家は売られて、取り壊されてしまったんだ。だから、パート2と3のためにコロンビア・ピクチャーズの敷地の裏に建て直さなければならなくて、そっくり同じにはならなかった。いまはロサンゼルス郊外で撮影しているけど、ほとんどがアトランタで撮影されたものだから、そこをどうするか工夫する必要があったんだ。これについては、早い段階から話し合ったよ。僕は「さて、あのときの家じゃないってことをどうやってバレないようにする? だって、そもそも別モンなんだから」と言った。でも考えてほしい。30年経ったんだ。何だって起こり得るさ!

ー『スター・ウォーズ』のマーク・ハミルは、30年ぶりにミレニアム・ファルコンに乗り込んだときは感無量の思いだったと言っていました。

僕だってそうさ。ミスター・ミヤギ役のパット・モリタはもうこの世にいないし、監督のジョン・アヴィルドセンもプロデューサーのジェリー・ワイントローブも他界してしまった。でもそれ以上に、あの日はミヤギ邸のセットでの初日だった。裏庭でロビー(タナー・ブキャナン)と並び、それぞれが反対方向にペンキを塗るシーンさ。リハーサル中に「ワオ! ここが魔法の始まりだったんだ!」と思った。一緒に作品を作り上げた友人の何人かはもういないから、すごく感動的だった。それ以上に、ドラマのアイデアが生まれた瞬間から、ミスター・ミヤギがダニエルの人生にもたらしたレガシーを表現する瞬間が必要だと思った。こうした瞬間が『コブラ会』に散りばめられているのは重要だし、制作陣はそうすると保証してくれた。だって、尻を蹴られたシーンよりこうしたシーンのほうが記憶に残っているから。尻を蹴られるときはひたすら「早く終わってくれ」って思っていたよ。

その一方、個人的な話をすれば、僕はもう18歳じゃなければ、16歳でも25歳でも35歳でも45歳でもない。そりゃ「ワオ!」ってなるさ。時間の経過を見せつけられたよ。「なんてこった、俺も歳を食ったな」みたいな暗くて深いところからくる感情じゃなく——君が僕の子どもだったら確かにそう思うかもしれないけど——人生に対するノスタルジーのようなものだよ。君みたいな若い人や道で会った初対面の人に話しかけるときは、限られた僕の残りの人生について話すことがほとんどだ。まあ、そうじゃないときもあるけど。だから『コブラ会』は、34年以上も昔のあの時期に戻ることなんだ。これは素晴らしくも美しいことだけど、その反面、もうあんなに昔なんだって驚かされる。

・マーク・ハミルが語る『スター・ウォーズ』への復帰に寄せる思い

ーいまの若い人たちにあなたが80年代どれだけ人気だったかをわかってもらうのは難しいです。そのときの経験について教えてください。


ときには圧倒されることもあったと思う。僕は常に片足をハリウッドに、もう片方を別の世界に突っ込んでいた。当時はロングアイランド郊外に住んでいたんだ。いま住んでいる場所からさほど遠くないよ。仕事がないときは、いつもそこに行ったな。そこで僕はすごく注目されていた。地元出身のスター的な感じさ。当時は、有名人といえば僕と2人のホッケー選手くらいだったから。だから土曜日にショッピングモールに行く気にはなれなかった。一番苦労したのは、ロバート・デ・ニーロとバート・ヤングと3人でブロードウェイ作品を演じていたときだ。ちょうど『ベスト・キッド2』(1986)の公開直後だった。僕はブロードウェイにあるロングエーカー劇場にいて、通りの向こう側の映画館でちょうど『ベスト・キッド2』が上映されていた。だから、劇場から通りに出ると……シェイ・スタジアムのビートルズとまでは言わないけど、クレイジーだったよ。

Translated by Shoko Natori

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