産後に死を覚悟したからこそ新しいキャリアを見つけた女性起業家|音楽ビジネスストーリー

ーレコード会社を退社した理由は?

当時は、サイアー・レコード(ワーナー・ミュージック・グループの子会社)の従業員の多くが解雇されました。私の上司もそうです。気がつけば職を失い、次に何をしたらいいかわからない状態でした。

エンターテイメント業界のなかでも映画やテレビといったジャンルが大好きだったので、その方向を探ってみようと思いました。幼い頃に音楽に興味を持つようになったきっかけはサントラでした。まさにスコット・ヴェナーに近づくチャンスと考えたのです。スコットは当時、『アントラージュ オレたちのハリウッド』(訳注:米HBOの大ヒットコメディシリーズ)の音楽を監修していました。私は彼の作品の大ファンで、彼と近づきになる方法を見つけました。当時の私は「今、あなたの下で無償で働きます。だから、何かお手伝いさせていただけませんか? 本当に勉強したいんです」というようなことを伝えました。そして、スコットの下で1年ほど働きました。『ビバリーヒルズ高校白書』のセカンドシーズンにも携わり、音楽の部分でスコットを全面的にサポートしました。でも、ここにはあまり成長の余地がないと徐々に気づいたんです。そこで、CAA(訳注:米大手タレント事務所)でアシスタントの仕事を見つけました。すべてが変わったのは、ここからですね。

ーでも、タレント事務所にも長居はしませんでしたね。

CAA在職中にジョディ・ガーソン(米ユニバーサル ミュージック パブリッシング グループの現CEO)に出会いました。当時ジョディは、私の上司のクライアントでした。私に音楽出版について教えてくれたのは、ジョディなんです。タレント事務所での仕事はあまり好きではありませんでした。私が期待するようなクリエイティブな職場ではなかったのですが、次のキャリアへの踏み台として活かせる経験にはなりました。それだけでなく、タチの悪いアシスタント・従業員として働く機会にも恵まれました。最終的にジョディはケイティ・ウェルというソニーATVミュージックパブリッシングのA&R担当のひとりとの面接の約束を取り付けてくれました。ケイティは、受付係兼A&Rアシスタントとして私を採用しました。

そこで、いまは私の夫で、私の会社がマネジメントを担当しているJキャッシュに出会いました。彼は、私がこの業界で出会った最初のソングライターのひとりでした。私の上司が彼と契約を結び、私は彼のスケジュール管理を任され、一緒に仕事をはじめました。そして、2年半ほど務めてから、コーディネーターになるために退社しました。

Prescription Songs(訳注:音楽出版兼ライセンシングの会社、以下Prescription)で働いていたベカ・ティシュカーが、PrescriptionのA&R部門の立ち上げと事業拡大のために私を採用してくれました。Prescriptionに移籍した当時はJキャッシュもそこに所属していたので、ふたたび彼の右腕のクリエイティブ担当に復帰したわけです。

ー初契約はいつのことですか?

Prescriptionにいたときです。初めて契約にこぎつけたのは、Blueprintというソングライター兼プロデューサーのユニットと、Bantuというジンバブエ出身のソングライター・プロデューサー・アーティストでした。2015年に契約を結んだラウヴは、3人目です。

ー会社を辞めてNonstop Managementを創設したきっかけは?

妊娠中は、Prescriptionを退社するつもりはありませんでした。でも、娘を出産したあとに心不全を患ったのです。通常の休暇から復帰するように、当初は3カ月だった産休が約8カ月の医療休暇になってしまいました。心臓が完全に回復するまで、それくらいの時間が必要でした。心不全になったときは、仕事に復帰できると医師に言われたのですが、復職はおろか、Prescriptionに復帰できるか不安でした。私のような経験をした女性の多くは、心臓が完全に回復することはないんです。医療休暇が終わるにつれて、「復職して誰かのために仕事をするのが私の本当の夢だとは思わない。だから、いまここで変えてみよう。私の夢はなんだろう? それは、一緒に仕事をするソングライターやプロデューサーが集まる自分の会社をつくることだ」と思うようになりました。

当時は、マネジメントが簡単に思えたんです。音楽出版社を自ら起こすなんてとても無理です。それに、音楽出版社で十分なソングライターやプロデューサーのマネジメント経験を積んだ気でいました。こうした人々と近い場所で仕事をしていたので、「これならやったことあるわ!」程度に考えていたんです。担当するクライアントのリストは、わりとすぐ出来上がりました。ひとりがふたりになり、どういうわけか10人にまで膨らみました。それが何を意味するか、私はその状況にどっぷり浸かるまで気付きませんでした。マネジメントは、音楽出版とは違います。自分の子どもを産んだ直後に「うわっ、11人の子どものお母さんになっちゃった」的な状態に陥りました。

「周囲への気配りを忘れずに、ストレスを抱えすぎないように」と主治医に言われた私が何をしたと思いますか? 自分の会社を起こしたんです。まさに言われていたことの真逆ですね。最初の2年は娘の育児に専念するべきだったのかもしれませんが、やりたいこと、広げたいこと、携わりたいことがあまりにたくさんあったのです。

Translated by Shoko Natori

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