ミック・ジャガーとキース・リチャーズが語るバンド屈指の問題作、再びステージに立つ覚悟

1973年のローリング・ストーンズ(Photo by Aubrey Powell)


キースが振り返る『山羊の頭のスープ』

キース・リチャーズは同作からの最大のヒット曲を書き始めた時、自分がどこにいたかをはっきりと覚えている。彼は同年上旬にヘロインへの依存を克服するために入所した、スイスにあるリハビリ施設のトイレにいた。人生で最大の苦痛を味わった3日間を過ごした後、彼の頭にあるメロディーが浮かんだ。アニタ・パレンバーグとの間に生まれたばかりだった娘の名前にちなんで、その感傷的なバラードは「悲しみのアンジー」と題された。

書いたばかりの曲群を手土産にスイスの施設を訪ねたジャガーは、リチャーズから「悲しみのアンジー」を聴かされた瞬間、それがヒットすると確信した。10年近くに渡る緊密なコラボレーションを経て、ジャガーとリチャーズは別々の国で暮らすようになっていた。リチャーズはドラッグへの依存を理由に、南フランスにある邸宅Nellcôteを離れていた。メンバーたちのアメリカ滞在ビザは期限が切れており、税金問題が理由で母国イングランドに住むこともできなくなっていた。「『メインストリートのならず者』を作ってた頃、俺たちはあまりに長く一緒にい過ぎた」リチャーズはそう話す。「『山羊の頭のスープ』の頃には、ミックはビアンカと結婚してたし、チャーリーはフランスに住んでた。要するに俺たちは流浪者で、みんな離れて暮らしてた。ミックと俺はそれぞれ、1人で曲を書く術を学ばないといけなかった」



ジャマイカでレコーディングすることを決めた理由について、リチャーズは半分本気で「俺たちを受け入れてくれる数少ない国の1つだったから」としている。ピアノ担当のビリー・プレストンを交え、バンドは深夜0時から朝10時まで「狂ったように録り続けた」とリチャーズは語っている。ジャガーは冗談まじりに、「ストーンズはジャマイカでレコーディングしながら、レゲエの影響が皆無のアルバムを作った唯一のバンドかもしれない」と話している。彼はそのセッションの肝として、リチャーズとミック・テイラーのファンキーなギターと、プレストンによるエレクトリックピアノの絡みを挙げる。「当時はクラビネットにワウをかませるのが流行ってた」彼はそう話す。「ハービー・ハンコックのマネってわけじゃないけど、そういうサウンドが受けてたんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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