『ブラックパンサー』監督、故チャドウィック・ボーズマンを追悼「ずっと見守ってくれる」

『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督と故チャドウィック・ボーズマン(Photo by Samir Hussein/WireImage)

『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督は、先日43歳でこの世を去ったチャドウィック・ボーズマンに捧げる追悼文を執筆した。

『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督は、43歳でこの世を去ったチャドウィック・ボーズマンに捧げる追悼文を執筆した。

「彼は、壮大な打ち上げ花火のような存在でした」とクーグラー監督は米現地時間8月30日に発表した声明で述べた。「私は、彼が何度も才能の火花を散らせた場面に立ち会ったことを命果てるまで語り続けます。なんと素晴らしい痕跡を私たちの心に残したことでしょう」。

クーグラー監督は、ティ・チャラ王役にボーズマンを抜擢したのは自分ではなく、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)の監督を務めたアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟の功績だと指摘した。「このことに対し、私はいつまでも感謝の気持ちを忘れません」とクーグラー監督は述べた。

クーグラー監督はボーズマンの優しさと冷静さ、そしてブラックパンサーという役への熱意を称えた。「俺たちの取り組みは、斬新すぎるんだ……これは『スター・ウォーズ』であり『ロード・オブ・ザ・リング』でもある……でも、俺たちにとってはもっとビッグなことなんだ!」とドラマチックな場面を仕上げようと苦労し、残業時間が倍に延びているときに私に言ってくれました」とクーグラー監督は綴った。

クーグラー監督とボーズマンは『ブラックパンサー』(2018)でタッグを組んでいたものの、4年にわたってボーズマンが結腸がんと闘っていたという知らせは、監督を驚かせた。「チャド(チャドウィック)は、自身のプライバシーを非常に大切にしていましたし、私は彼の病気の詳細は知りませんでした。ご遺族が声明を発表したとき、私は改めて気づきました——チャドと一緒にいるあいだ、ずっと彼は病気と闘っていたことを。彼は相手を慈しむ人間であると同時にリーダーであり、信念、尊厳、プライドを大切にする男でした。彼は、仕事仲間を彼の苦しみから守ってくれていたのです。チャドは素晴らしい生涯を送りました。彼は、偉大な芸術を生み出しました。来る日も来る日も、来る年も来る年も。それがチャドウィック・ボーズマンという男でした」と監督は記した。

さらにクーグラー監督は、『ブラックパンサー』の続編となる作品に昨年から取り組んでいたことを明かした。続編は、2022年の公開予定だった。「ここまで強い喪失感を抱いたことはありません。昨年はずっと準備したり、想像したり、チャドに言わせたいセリフを書いたりしていたのですが、それは叶わぬ夢となってしまいました。今後は、モニターに映ったチャドのクローズアップ映像を見たり、彼に歩み寄ってもうワンテイク頼む! と言ったりできないと思うと胸が張り裂けそうです」と監督は綴った。

「アフリカの文化では、故人を先祖と考えることが往々にしてあります。ときには遺伝的なつながりがありますが、必ずしもそうとは限りません。私は、チャドが演じたティ・チャラというキャラクターのシーンを手がけ、ワカンダの先祖たちとコミュニケーションを取るという栄誉を授かりました。当時、私たちはアトランタの打ち捨てられた倉庫にいて、そこには撮影用のブルースクリーンや巨大な照明機器があったのですが、チャドの演技にはリアルさがありました。それはきっと、私が彼に会った瞬間から、チャドが彼の先祖たちの言葉を語っていたからだと思います」。と監督は言い添えた。

「チャドがもっとも印象的ないくつかのシーンを見事に演じ切ることができたのは、驚きでもなんでもありません。生きていれば、もっともっとそのようなシーンで私たちを幸せにしてくれたと信じています。チャドが私たちの先祖になってしまったと考えるのはまだまだ辛いですが、彼が生まれたことに深く感謝します。彼は、ずっと私たちのことを見守ってくれるでしょう——また会えるその日まで」。

ライアン・クーグラー監督の追悼文の全文を以下に記す。

私は、チャドをティ・チャラ役にというマーベルとルッソ兄弟のキャスティングの判断を踏襲しました。このことに対し、私はいつまでも感謝の気持ちを忘れません。ティ・チャラを演じるチャドの姿は、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の未完成のカットで初めて見ました。当時私は、『ブラックパンサー』の監督になるのが自分にとって良いことなのか? と迷っていました。ディズニーの撮影所の編集室に腰を下ろし、チャドのシーンを見ていたときのことを私は一生忘れないでしょう。最初はスカーレット・ヨハンソン扮するブラック・ウィドウとのシーンで、次は南アフリカ出身の大御所俳優ジョン・カニが演じたティ・チャラの父、ティ・チャカ王とのシーンでした。そのとき、私はこの映画を創りたいと心の底から思いました。スカーレットがいなくなると、チャドとジョンは聞いたことのない言語で会話を始めました。それは、アメリカの黒人の子どもがよく使う、カチカチやチッチッといった音にあふれていて、どこか懐かしくもありました。行儀が悪かったり、下品なことをしたりしたときにされる、舌打ちのような音です。でもその音には、太古のパワーとアフリカらしい音楽性がありました。

映像を観たあとのミーティングで、私は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のプロデューサーのひとりであるネイト・ムーアにチャドとジョンが交わした言語について質問しました。「あれは、君たちがつくったの?」するとネイトはこう答えました「あれはコサ語といって、ジョン・カニの母語なんだ。ジョンとチャドのあいだで、いまのようなシーンをセットでもやろうってことになって、とりあえずやってみたんだよ」。そのとき私は「チャドは、別の言語のセリフをその日のうちに覚えたなんて!」と思いました。それがどれほど難しいか私には想像できませんでしたが、チャドに会う前から俳優としての彼の力量にはやくも圧倒されていました。

あとになって私は、ティ・チャラが話す言葉の響きをどうするかについて、いくつもの議論が重ねられたことを知りました。コサ語をワカンダの正式な言語にするという判断が固まったのは、チャドのおかげです。チャドはノースカロライナの出身ですが、現場ですぐにコサ語を身につけることができたからです。さらに彼は、自分が演じるキャラクターがアフリカのアクセントで話すことを強調しました。それによってティ・チャラは欧米に支配されていないアフリカの国王としてオーディエンスの前に登場しました。

映画への出演契約を結び、ようやくチャド本人に会えたのは2016年の初めでした。彼は、当時私が手がけていた『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)のプレス向けイベントのために集まったメディア関係者たちのあいだをすり抜け、控室まで会いにきてくれました。私は大学時代にフットボール選手だったこと、彼は監督になりたくてハワード大に進学したことなど、それぞれの人生やティ・チャラとワカンダの共通のビジョンについて語り合いました。ハワード大の元クラスメートのタナハシ・コーツがマーベル・コミックスでティ・チャラの最新シリーズを執筆していることのアイロニーついても語りました。チャドは同じハワード大出身で、知人でもあったプリンス・ジョーンズについても語ってくれました。プリンス・ジョーンズは警官に殺害された黒人の青年で、彼の死をきっかけにコーツは回想録『世界と僕のあいだに』を執筆しました。

そのとき、私はチャドの特異性に気づきました。彼は冷静で、自分に自信を持っていました。そして常に観察していました。それでいて優しく、一緒にいると心が和み、世界でもっとも温かい声で笑い、その瞳は年齢よりもずっと成熟していましたが、初めて何かを見た瞬間は、少年のような輝きを放ちました。

これがチャドと交わした初めての会話です。その後、私たちはたくさんの会話を重ねました。彼は、特別な人間でした。私たちのヘリテージとアフリカ人であることの意味についてしょっちゅう話し合いました。『ブラックパンサー』の準備の際、チャドはありとあらゆる判断と選択肢をじっくり検討しました。彼だけでなく、どのような反響を生むかについて熟考するのです。「俺たちの取り組みは、斬新すぎるんだ……これは『スター・ウォーズ』であり『ロード・オブ・ザ・リング』でもある……でも、俺たちにとってはもっとビッグなことなんだ!」とドラマチックな場面を仕上げようと苦労し、残業時間が倍に延びているときに私に言ってくれました。ボディペイントに覆われていたり、自分でスタントに取り組んでいたりするとき、あるいは、氷のように冷たい水に飛び込んだり、ウレタンのマットレスに着地するときに。私はうなずいて微笑みましたが、彼の言うことは信じていませんでした。映画が上手くいくかどうか、まったくわからなかったのです。私は、自分が何をしているのかわかっていませんでした。でも振り返ってみると、チャドは私たち全員が知らないことを知っていたのです。彼は、全身全霊で取り組みながら、長期戦を闘っていました。その仕事ぶりは素晴らしかったです。

チャドは、脇役のオーディションも受けにきました。スケールの大きい高予算映画の主演俳優は、普通こんなことはしません。エムバク(訳注:ブラックパンサーことティ・チャラのライバル)のオーディションにも数回参加しました。ウィンストン・デューク(訳注:同作でエムバクを演じた俳優)とのトライアル的な読み合わせは、最終的にレスリングの試合のようなものになってしまいました。ウィンストンはブレスレットを壊しました。レティーシャ・ライトがシュリ(訳注:ティ・チャラの妹でワカンダの王女)のオーディションに来たとき、レティーシャは彼女特有のユーモアでチャドのロイヤル・ポーズを自分のものにして、ティ・チャラを満面の笑みにしました。あのときチャドが見せたのは、完全に素の笑顔でしたね。

撮影中は、私のオフィスか、私がアトランタで借りていた家で落ち合っては、セリフやそれぞれのシーンにもっと深みを出す方法を模索するためのさまざまな方法を議論しました。衣装や軍の訓練についても話しました。チャドは私に「戴冠式でワカンダ国民はダンスを披露しなければいけない。だって槍を片手にただ突っ立っていたら、古代ローマ人と同じじゃないか」と言いました。初期の脚本では、悪役のエリック・キルモンガーは自分をワカンダに埋葬してほしいと頼みます。チャドは、キルモンガーが別の場所での埋葬を望んだらどうなるだろう? とあえてそこに疑問をなげかけました。

チャドは、自身のプライバシーを非常に大切にしていましたし、私は彼の病気の詳細は知りませんでした。ご遺族が声明を発表したとき、私は改めて気づきました——チャドと一緒にいるあいだ、ずっと彼は病気と闘っていたことを。彼は相手を慈しむ人間であると同時にリーダーであり、信念、尊厳、プライドを大切にする男でした。彼は、仕事仲間を彼の苦しみから守ってくれていたのです。チャドは素晴らしい生涯を送りました。彼は、偉大な芸術を生み出しました。来る日も来る日も、来る年も来る年も。それがチャドウィック・ボーズマンという男でした。彼は、壮大な打ち上げ花火のような存在でした。私は、彼が何度も才能の火花を散らせた場面に立ち会ったことを命果てるまで語り続けます。なんと素晴らしい痕跡を私たちの心に残したことでしょう。

ここまで強い喪失感を抱いたことはありません。昨年はずっと準備したり、想像したり、チャドに言わせたいセリフを書いたりしていたのですが、それは叶わぬ夢となってしまいました。今後は、モニターに映ったチャドのクローズアップ映像を見たり、彼に歩み寄ってもうワンテイク頼む! と言ったりできないと思うと胸が張り裂けそうです。

これからはFaceTimeやショートメッセージでチャドと連絡が取れないと思うと、悲しみが募ります。パンデミック中、チャドは私と家族のためにベジタリアン向けのレシピを送ったり、取り入れるべき食事療法を教えたりしてくれました。がんの苦しみと闘いながらも、彼は私と愛する人々のことを気にかけてくれていたのです。

アフリカの文化では、故人を先祖と考えることが往々にしてあります。ときには遺伝的なつながりがありますが、必ずしもそうとは限りません。私は、チャドが演じたティ・チャラというキャラクターのシーンを手がけ、ワカンダの先祖たちとコミュニケーションを取るという栄誉を授かりました。当時、私たちはアトランタの打ち捨てられた倉庫にいて、そこには撮影用のブルースクリーンや巨大な照明機器があったのですが、チャドの演技にはリアルさがありました。それはきっと、私が彼に会った瞬間から、チャドが彼の先祖たちの言葉を語っていたからだと思います。チャドがもっとも印象的ないくつかのシーンを見事に演じ切ることができたのは、驚きでもなんでもありません。生きていれば、もっともっとそのようなシーンで私たちを幸せにしてくれたと信じています。チャドが私たちの先祖になってしまったと考えるのはまだまだ辛いですが、彼が生まれたことに深く感謝します。彼は、ずっと私たちのことを見守ってくれるでしょう——また会えるその日まで。

Translated by Shoko Natori

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