ローリング・ストーンズの卓越した先進性とは? 今の視点で捉え直す『山羊の頭のスープ』

ザ・ローリング・ストーンズ(Photo by Hipgnosis)


ミック・テイラーの繊細なギターワーク

他にも、ニック・ハリスンによる、大ヒット曲「アンジー」や「ウィンター」におけるストリングス・アレンジの面白さや(はっきり言ってミスマッチなのだが、その妙味が面白い)、マッチョなロック・バンド像をセルフ・パロディーしたような「スター・スター」など、いつもながらの小気味よいロックンロールも素晴らしいし……と、ここまで書いてきて、ストーンズ・ファンの方から、最も重要なトピックがすっかり抜け落ちているじゃないか!というお叱りの声が聞こえてきそうだ……そう、やはり何はなくとも、本アルバムに限らず、この時期のバンドにとって、ミック・テイラーの存在は本当に大きいと思う。これが魅力その3。

ミック・テイラーは、よく知られている通り、ブライアン・ジョーンズのサブスティテュートとしてストーンズに加入した、「年下のギタリスト」だ。元はジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズでエリック・クラプトンやピーター・グリーンら歴々たるギター弾きの後をついでプレイしていた新鋭で、その時期からモダン・ブルースの奏法を習得した丹精で切れ味鋭い演奏をウリとしていた。キース・リチャーズがロックンロール・リズム・ギターの精髄ともいうべきスタイルを深化させていく傍らで細やかなリード・プレイを提供するテイラーという構図は、明らかに後世までつづく象徴的なストーンズ像のオリジンといえるものだろう。もちろん本作においても彼の存在感は抜群で、シャープな単音プレイからスライドを駆使した演奏まで、丹精ながらも情感の籠もったギターを聴かせている。 



もしかすると、このように「ギタリストに注目をして音楽を聴く」という行為自体今や覇権的なリスニング方法ではないのかもしれないが、個性豊かなアンサンブルの中にあって、その引き締め役として機能するかのようなミック・テイラーのプレイがあってこそ、本作のトライバルな要素やソウル的な要素が際立ってくることに気づくだろうし、本作において(というかストーンズ作品全般において)そのような聴き方は、古い/新しいというより、アンサンブルの個性や微細な音響的妙味を味わうことと同義のデリケートな歓びに導いてくれるだろう(その意味で、今回のリイシューで発掘された、ジミー・ペイジらとミック&キースのセッション曲「スカーレット」も必聴だろう。ギター・アンサンブルというものの面白さを知るにこんな適した曲もそうそうないように思う)。

また、こうした聴き方こそは、たとえばアラバマ・シェイクスのギタリスト、ヒース・フォッグによるプロジェクト、サン・オン・シェイドや、このところの八面六臂の活躍で評価を高めつつあるブレイク・ミルズなど、ルーツ志向をもちながらも繊細なフレージングとトーン・コントロールをもってギター表現の拡張を試みる新鋭たちの作品を我々が新鮮に味わうときの態度にも通じるのではないだろうか。実際、さりげない傑作というべきミック・テイラーのソロ・アルバム『ミック・テイラー』(1979年)を聴いてもらえれば、今日の新鋭たちとの表面上の音楽的差異は抜きにしても、彼が単なるブルース・キッズではなくかなり理知的で繊細な感覚を蔵したトータル・ミュージシャンであることが理解されよう。




ローリング・ストーンズ。その名だけで、ただ巨大に屹立する一個の存在として神格化され、それがために様々な「聴き方」が封じられてきてしまったように思う彼らの音楽を、今一度固定された評価から引き剥がそうとしてみること。そこから見えてくるのは、「王道こそもっとも雑食的で、ときには非正統的でもある」ということだろう。それは、よくよく考えてみればロック・ミュージック自体が、そもそも規範やイデアのごときものから浮遊した雑種として発生してきたものだったことも教えてくれる。ロックの絶対的フォーマットらしきものを作り上げたローリング・ストーンズは、同時にそのフォーマットを揺さぶることにかけてももっとも優れた集団であり続けた。この『山羊の頭のスープ』は、その事実がひときわ鮮やかに表出している作品だと思う。

●ローリング・ストーンズ、ビル・ワイマンが撮った知られざる素顔(写真ギャラリー)




ザ・ローリング・ストーンズ
『山羊の頭のスープ』
2020年9月4日発売
アルバム購入・試聴:https://umj.lnk.to/goats-head-soup

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