ローリング・ストーンズの卓越した先進性とは? 今の視点で捉え直す『山羊の頭のスープ』

ザ・ローリング・ストーンズ(Photo by Hipgnosis)


ニューエイジ/トライバルへの早すぎた接近

まず、本作の魅力その1は、そのダークな色彩だろう。(これは、後追いで歴史をみる者のズルさでもあるとおもうのだが)当時の彼らにどれくらいの自覚があったかはわからないが、前作『メイン・ストリートのならず者』における絶頂を経て、何やらどこからか退廃の影が忍び寄っていることを嗅ぎ取ってしまうのだ。具体的な状況としては、段々と重くなるキース・リチャーズのドラッグ禍や、『ベガーズ・バンケット』(1968年)以来バンドのスタジオ・ワークを支えてきたプロデューサーのジミー・ミラーが同じくドラッグ癖で不調に陥っていたことなどがあるわけだが、ジャマイカの地でベーシック・トラックを録音したにも関わらず(だからこそというべきか?)どこかしら鬱々とした倦怠が漂っているように聴こえる。

オープナーの「ダンシング・ウィズ・ミスターD」は、「悪魔を憐れむ歌」(1968年)にも通じる彼らが得意とするデーモン讃歌の系統を継いでいるが、同曲にあったような躍動的/革命的な気配よりも、重苦しいギター・リフや地を這うようなヴォーカル、妖しげなミックスなどが配合されることで、どこか「革命の後の荒廃」的な陰鬱とした雰囲気が漂い、他のアルバムでは得難い本作ならではのドープネスに引きずり込んでくれる。また、一般的にファンからスルーされがちな曲だが、金属系パーカッションに導かれてレズリー・スピーカーを通したギターとミックのヴォーカルがヌメヌメと這い出てくる「全てが音楽」などは、「ストーンズ流プレ・ニューエイジ?」といいたくなるような抹香臭漂う珍曲なのだが、このあたりの味付けも本作固有の面白さと言えるだろう。




いうなればこれは、「黒くぬれ!」(1966年)などを端緒とするストーンズのサイケデリック・サイドの70年代版の深化といえるだろうし、その後のロック・ミュージックがニューウェイブ時代を経て「ワールド・ミュージック」と接近していった流れの先駆的実践として捉えてみても興味深い。また、昨今の音楽シーンにあって、ニューエイジ・テイストの復興と並行して再び立ち現れているように思う「トライバル」のひとつの雛形としてみても面白いかもしれない。このあたりは、アルバムのタイトルや、オリジナル・アートワークにおけるおどろおどろしい実際の山羊の頭のスープ写真などにも見られる彼らのキッチュなブードゥー趣味と照らし合わせると一層理解しやすいだろう(もちろんこうした視点はオリエンタリズムの問題も引き寄せるだろうし、一概に称揚すべきものでないことも言い添えておく)。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE