コロナ禍を癒す異例のヒット、ブルーノ・メジャーの「静かなる傑作」を2つの視点から考察

2. 薄曇りのロンドンが似合う「現代のサウダージ」
柳樂光隆

ブルーノ・メジャーを初めて聴いたのは2017年の『A Song for Every Moon』だったと思う。そのときの印象はシンプルにおしゃれだなってことと、アメリカからは出てこなそうな音楽だなという感じだった。その印象は僕が思うイギリスっぽさみたいなものを持っていることと繋がっていた。

ソウルやR&Bのフィーリングが混じったフォーキーなシンガー・ソングライターではあるが、そこにジャズやブラジル音楽からの影響を感じさせるのがその印象の理由のひとつだろう。ソウルやR&Bというよりはブルー・アイド・ソウルやAORのような”ソウルやR&Bのアメリカの音楽を消化して洗練させたポップソング”的であり、しかも、それのイギリス版ということでもうひとつフィルターを挟んでいるところにも面白さがあった。それはたとえば、ロックやパンクを出発点にしながらも、カーティス・メイフィールドやジョージ・クリントンに憧れ、同時にジャズやボサノヴァにも心惹かれていたポール・ウェラーに通じるイギリス性と言ってもいいのかもしれない。



そのなかで、ブルーノ・メジャーの音楽が圧倒的に今のサウンドとして響くのは、バンドサウンドや弾き語りというよりはプロダクションの感覚が強く、ビートにはネオソウルが、コーラスや音色やテクスチャーには現行のR&Bからの影響も聴こえるからだろう。ギターがうまいのもあって、作曲の中心も音楽の核にあるのもギターと声ではあるが、それを出力する際にバンド的なサウンドであっても、一度DAW的な発想を通過しているようなベッドルーム感が心地良い。音楽のスケールを小さくしていることによる親近感や親密さみたいなものを感じさせてくれるのも魅力のひとつだろう。ひとりで聴くのにも適している「個」のための音楽として僕は聴いている。『To Let A Good Thing Die』はそんなブルーノ・メジャーの素晴らしさが詰まった素晴らしいアルバムだ。

近年、このブルーノ・メジャーだけでなく、プーマ・ブルーやジェイミー・アイザックといったロンドン出身の若手シンガーソングライターを聴いていると、それぞれの個性はたしかにあるものの、どこか近いフィーリングを感じることがある。それは彼らの周りにイギリスの若手ジャズ・ミュージシャンが何らかの形で関わっていて、何らかの形でジャズの要素を取り入れていることや、彼らの音楽のかなり重要な部分にJ・ディラ、ディアンジェロ、エリカ・バドゥあたりのネオソウルの要素があるからだけではない。ジャズ/ネオソウルの要素を取り入れたポップソングというだけなら、アメリカや日本にも同じような音楽は存在する。でも、彼らの音楽にはアメリカや日本のミュージシャンとは明らかに異なった質感や情緒が感じられる。僕はそれをボサノヴァの情感を表現する際に使われる、”サウダージ=郷愁”みたいなものが音楽に宿っているかどうか、ではないかと感じている。



そこで、彼らが制作したプレイリストを見てみると共通するものが浮かび上がってくる。ブルーノ・メジャーのプレイリスト”It’s Gonna Be Okay”、プーマ・ブルーのプレイリスト”Water”、ジェイミー・アイザックの”Fool’n”と、彼らは自身が影響を受けたり好きだったりする音楽を集めたプレイリストを作っていて、これがどれも「なるほど」と頷ける選曲になっている。そして、3人のプレイリストに共通して入っているのはチェット・ベイカーだ。

これを単純に「ジャズの影響」と捉えるのは少し違うと僕は考えている。おそらく2010年代以降、アメリカや日本のジャズミュージシャンでチェット・ベイカーに着目している人はなかなかいないだろう。少なくともジャズの世界ではほとんど聞いたことがない。でも、イギリスのシンガー・ソングライターたちはシンガーとしてのチェットを好む。作品で言えば『Chet Baker Sings』辺りの時期。決して技術的に高度というわけではないが、愁いを含んだ細く小さな声でメロディーをシンプルに歌うアイドル・ジャズ・シンガーのような時期のチェットの作品だ。このチェットのウィスパー・ヴォイスはジョアン・ジルベルトを魅了し、ボサノヴァの歌唱に影響を与えたと言われている。つまりブルーノ・メジャーらにチェットの影響があるとしたら、ジャズ・シンガーではなく、ボサノヴァにも通じる特殊なウィスパー・ボーカルで独特な感情を表現した部分ではないかと僕は考えている。




チェット・ベイカーに関しては、トム・ミッシュも彼のプレイリスト“Real Good Shit”にいくつかのボサノヴァと共にチェットの曲を入れているし、同じくロンドン出身のキング・クルールも影響を公言している。世代やシーンは割と近いものの、それぞれに異なる音楽性を提示している両者が、その一方で同じような感覚を共有しているのは実に面白い。この感覚を遡れば、トレイシー・ソーンが歌うエブリシング・バット・サ・ガールや、アリソン・スタットンが歌うヤング・マーブル・ジャイアンツ/ウィークエンドなど、80年代イギリスのギターポップやポストパンクのグループにまで繋がっているとも言えるのではないだろうか。つまり、その歌の表現はどこか儚く、グレーで、寂しさや痛みのような影が入り混じり、哀愁や退廃が香るようなもの。チェットの歌や(晩年の)演奏にある拙さや不安定さが生む焦燥や不安や死の影みたいなものが醸す情感そのものだ。

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