90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想|2020上半期ベスト5

カルチャーの誕生

1983年、ガティエンはついにニューヨークに進出した。チェルシーの老朽化したホーリー・コミュニオン教会をわずか160万ドルで購入。クラブは出だしから満員御礼で、マドンナからドナルド・トランプまで(「あいつはいつもダサかった」と苦笑いを浮かべながら言った)、狂乱の80年代を代表するメンツはみなここに集まった。フロリダとアトランタで彼は、ディスコが繁盛するためのカギはゲイの客の比率にかかっていることを学んでいた。「いろんな奴らを呼び込むにはゲイが必要」とガティエンは言う。「彼らは場を盛り上げてくれる。時々、ブルックリンや郊外からガラの悪い連中も来ていたが、すぐに打ち解けて『こいつら悪い奴らじゃないぜ』ってなるんだよ」。 そこへAIDS危機が襲い、街は静まり返った。誰もパーティーどころじゃなかった。

・ジョージ・マイケルと一緒に(1987年頃、ニューヨークにて)

90年代初頭、ドリンクを回し飲みしただけではウイルスは伝染しないと人々がAIDSに対して理解を深めるようになると、状況は良くなった。しかし、ライムライトからスターたちの姿は消え、店内の人影はまばらだった。それが結果的に新しい世代に扉を開いた。

次にクラブにやってきたものは華やかさには欠けたが、エネルギッシュだった。「僕が2回目のエレクトロのライブをやったのがライムライトだったんだ」とモービーはローリングストーン誌に語った。「1990年のことだ。僕は音楽を始めたばかりの、まだ純真無垢な、大都市で右往左往している、みすぼらしいキッズみたいなもんだった」。 90年代以前は足を踏み入れようとすらしなかったそうだが、「88年か89年には、ライムライトは誰からも忘れ去られた侘しいナイトクラブになり果てていた。それでマイケル・アリグやロード・マイケルが出てくるようになったんだよ」

パーティーのプロモーターをしていた2人のマイケルはナイトライフの転換期を象徴していた。2人のパーティーからいわゆるクラブ・キッズと呼ばれる、派手な衣装に身を包んで暴れ回る、エクスタシーをキメたダウンタウンの若者たちが登場した。そして当時ロンドンから入ってきたレイブのカルチャーと上手く組み合わさった。

Translated by Akiko Kato

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