17歳の美少女、ビアンカ・デヴィンズの短い生涯と拡散された死|2020上半期ベスト5

ビアンカが育った環境

ビアンカ・デヴィンズは米ニューヨーク州北部、シラキュースから1時間ほど東へ行ったユーティカの街でこの世に生まれ、そしてこの世を去った。かつて産業の街として栄えたユーティカは人口およそ6万2000人。他のラストベルト都市同様、20世紀半ばから後半にかけて大規模な不景気に見舞われ、未だ完全には立ち直っていない。大学ホッケーとイタリア系の住民が多いことで有名で(エンダイブをプロシュートと様々なスパイスでソテーした「ユーティカ・グリーン」は地元で人気のメニューだ)、犯罪率もそこそこ高いことで知られている。「TVをつければ、たいてい誰かが撃たれたというニュースが流れています」と言うのは、ビアンカの中学時代の同級生、レイチェル・シャンリーだ。ニューヨーク州が数百万ドルを投じて地域再生に乗り出し、何千人もの移民や難民が街の活性化に貢献しているものの、ユーティカの街はどんな天気であろうと、いつも陰鬱だった。涼しくて気持ちのいい9月のとある日も、空には太陽がさんさんと輝いていたにも関わらず、街を歩く人の姿は皆無だった。

だが、地元住民の間には地元愛が芽生えていた――不満を持つ人間もいたが、大半は残る道を選んだ。「住みやすいですし、子育てにもいい場所です」と言うのは、ビアンカの従兄弟トム・ホルト。「みんなよく『ここを出て、大きな学校に行くべきだ』と言いますが、ここにだって未来はあります」。ビアンカも急いで地元を離れるつもりはなかった。亡くなった当時も、自宅から15分ほどの場所にあるモーホークバレーコミュニティカレッジで心理学を学ぶ予定だった。「あの子は、洗濯物が溜まったら家に帰って来て洗うつもりでした」と、36歳の母親キムは自宅のリビングで語った。「家族から遠く離れたくなかったんです」


ニューヨーク州ユーティカの自宅からほど近い大学での学生生活を心待ちにしていたビアンカ・デヴィンズ。心理学の勉強を目指していた。(写真提供:デヴィンズ家)

4LDKのデヴィンズ邸は温かく、にぎやかだ。花の刺繍や額装された格言が壁に飾られ、床にはパステルカラーのユニコーンのぬいぐるみや色とりどりのレゴが散乱している。訪問するとハロウィンは1カ月以上も先なのに、リビングにはもうオレンジと黒のカボチャのちょうちんやテープが飾られていた。この家に暮らすのはキムと妹オリビア、キムの友人ケリー・リマー(キムの元夫マイクの元恋人でもある)、リマーの元夫コディ・モイゲングラハト、そしてリマーの4人の子供たち。子供たちは午後中ずっとリビングを行ったり来たりしていた。なぜ10代の女の子が小部屋に閉じ籠り、『マインクラフト』で遊んだり、寂しくなってインターネットで他の寂しい子たちとチャットをするのか、想像に難くないだろう。実際ビアンカもそうやって過ごしていた。

Translated by Akiko Kato

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