アラン・パーカー監督が死去 『ミッドナイト・エクスプレス』『ザ・コミットメンツ』など

アラン・パーカー(Photo by Martyn Goodacre/Getty Images)


30年以上にわたり、パーカーは様々なタイプの映画を監督してきた。そして彼は、その多才さを初期の頃から証明してきた。監督デビュー作となった1976年の『ダウンタウン物語』は禁酒法時代のギャング映画で、ミュージカル(カーペンターズへの楽曲提供で知られるポール・ウィリアムズの楽曲を使用)、コメディ、そして大人の役をすべて子供たちが演じた映画でもあった。この映画はヒットし、ゴールデングローブ賞に3部門ノミネートされ、パーカーの脚本賞を含む英国アカデミー賞(BAFTA)をいくつも受賞した。

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その後、パーカーは1978年に『ミッドナイト・エクスプレス』を発表した。オリバー・ストーンによる脚本は、麻薬密輸でトルコの刑務所に収監されていたアメリカ人のビリー・ヘイズが脱獄したという実体験に基づいている。この作品でパーカーはアカデミー賞の監督賞に初めてノミネートされている。ちなみに2度目のノミネート作となったのは、その10年後の1988年作『ミシシッピー・バーニング』。2人のFBI捜査官(ジーン・ハックマンとウィレム・デフォーが演じた)がミシシッピで公民権運動家3人の失踪事件を捜査するという内容の伝記ドラマである。

『ダウンタウン物語』の後も、音楽はパーカー作品の中心的な要素であり続けた。1980年には古典的なティーン向けミュージカルドラマ『フェーム』を監督し、1982年にはピンク・フロイドの『ザ・ウォール』を映画化した。後者はサイケデリックなカルト的名作となり、寮部屋の定番となったが、パーカーもピンク・フロイドのメンバーもこの映画には満足していなかった。ロジャー・ウォーターズは同作の容赦ないビジュアルを「五感への猛攻撃で、“観客”である私は、それに関わる機会を与えてもらえなかった」と評したのは有名な話だ。そしてパーカー自身も、1982年に公開された同作のプレス資料に、おそらくこの映画を作るべきではなかったと語っている。

しかし2016年になると、パーカーの態度は少し緩和されており、Louder Soundにこう語っている。「私の作品が上映される映画祭に行くと、いつも『ザ・ウォール』が満席になっているんだ。だから、あの映画を作るのが嫌だったと言うのは弱気に映ると思う。今は少し落ち着いて、「苦しかったけど創造性の高い時間」だったと言うようにしている。二度と繰り返したくないけどね」

その他、パーカーによる音楽映画には、1991年にロディ・ドイルの小説を映画化した『ザ・コミットメンツ』がある。この作品はアイリッシュ・ソウル・バンドを目指す人々の物語を描いている。1996年には、ティム・ライス作詞/アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカル『エビータ』を映画化し、マドンナとアントニオ・バンデラスを起用した。音楽はパーカーの仕事において重要な役割を果たしており、その密接な関係はジョルジオ・モロダーが手掛け、アカデミー賞を受賞した『ミッドナイト・エクスプレス』の画期的なスコアに最もよく表れていた。

パーカーの最後の2作品は、1999年の『アンジェラの灰』(フランク・マコートによる同名の回顧録を基にした作品)と2003年の『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』だった。2015年、パーカーはバーリ国際映画祭のセミナーで、映画製作をやめた理由を説明している。「監督業は年齢を重ねても上達しない。彼らは自分自身の作ったものを繰り返し、例外はあるものの、一般的に過去の作品以上は良くならない」と彼は言った(彼はそのあと、ハリー・ポッター映画版の監督オファーを受けたものの、「好きではなかったし、理解できなかったし、興味もなかった」という理由で断ったと付け加えている)。

映画製作の代わりに、パーカーは絵を描くことに創造的な活路を見出し、2017年にガーディアン紙に「絵を描くことにフルタイムで集中しているので、この3年間が私の人生の中で最も楽しかったと正直に言える」と語っている。

Translated by Rolling Stone Japan

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