ジャクソン5からBSB、KAT-TUN、BTSまで 「ボーイズバンド」史上最高の名曲75選

15位 テイク・ザット「バック・フォー・グッド」(1995年)

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1995年、ティーンアイドルだったテイク・ザットをイギリスの宝へ、さらに国際的スターへと押し上げるには、ありふれた失恋を歌ったシンプルな物語ひとつで十分だった。ジャケット写真もヴェルサーチのスーツでびしっときめ、音楽的にも成熟したバンドの新棚一面を示した曲だったが、TTの原点である古風なディスコサウンドを好んだファンには不評だった――NMEは「お上品すぎる」と評した。だが「バック・フォー・グッド」がなかったら、2006年のテイク・ザット再結成もあそこまで成功したかどうか怪しいものだ。青春真っ盛りだったファンが大人になった時に備えて、この曲がいわばお膳立てをしたのだ。この曲でついにソングライターの才能を開花したゲイリー・バーロウは、のちに「バック・フォー・グッド」は15分で書いた、と豪語した。「ささっと書いた時ほど、いい曲ができるようだね」と、伝記作家のジャスティン・ルイスに語っている。UKを代表する鉄板ソングとなった今、さんざん酔っ払ってカラーコーンを被ったラガーマンですら、溢れる涙をぬぐいながら「僕が言うこと、僕がすること――全部本気だよ!」と熱唱する。




14位 SHINee「Sherlock」(2012年)

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「Sherlock」は完全なオリジナル曲ではない。韓国出身の5人組SHINeeの2つの異なる曲を組み合わせてできた曲だ。2012年のミニアルバム『Sherlock』収録の2曲――ノリのいいヒップホップの「Clue」と、ボーカルが印象的な「Note」――をマッシュアップした「Sherlock」は、韓国初の「ハイブリッド・リミックス」シングルと謳われた。韓国最大の音楽レーベルSM Entertainmentに所属し、すでに不動の人気を確立してチャート1位にも輝いたボーイズバンドであることを考えれば、ジャクソン5を彷彿とさせるこの曲は、K-POPの最前線に立っていても革新的かつ実験的になれることを物語っている。




13位 ジャクソン5「アイル・ビー・ゼア」(1970年)

Michael Ochs Archives/Getty Images

「僕らにとって「アイル・ビー・ゼア」は、本当の意味で扉を開けた曲だった」この曲のデモ収録で実際に耳にするまでハープシコードが何かも分からなかったマイケル・ジャクソンは、自伝の中でこう書いている。「この道でやっていくんだ、と確信できた曲だった」このバラードの中で幼いシンガーはうっとり高らかに歌いあげ、兄のジャーメインにバトンを渡し、幼少期最高のパフォーマンスを披露している。1970年の夏に収録された「アイル・ビー・ゼア」は、秋を迎えるころにはシングルチャートNo.1を達成。ジャクソン5にとってその年4枚目のシングルNo.1ソングとなっただけでなく、モータウン歴代最高セールスも記録した。




12位 ジョナス・ブラザーズ「S.O.S.」(2007年)

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「ハグはやりすぎだよ、F.Y.I.(一応言っておくけど)」 ニック・ジョナスは「S.O.S.」の中でこうささやいた後、元カノにハイファイブする。ジョナス・ブラザーズはポップグループいちの純真無垢――その点にかけてはオズモンド・ブラザーズ級だ――携帯メールやメッセンジャーでのやり取りでウダウダ言うぐらいなのだから。だが、ディズニー好みの純情ジョナス・ブラザーズはキャッチーなポップロック・チューンの使い手だった。ワン・ダイレクションが3枚目・4枚目のアルバムでやり始めるずっと以前から、ロックの本物志向を上手く取り入れた。兄弟バンドとしての時代は一度終わりを迎えたものの、ニックとジョーのソロ活動からも、ポップ界での束の間の栄光が決してまぐれ当たりではなかったことは証明済みだ。




11位 ハイ・ファイブ「アイ・ライク・ザ・ウェイ」(1991年)

Raymond Boyd/Michael Ochs Archives/Getty Images

90年代初頭、ニュー・エディションはすでに正式に解散していたが、ポップミュージック界における影響力はいまだ健在だった。その証拠が1991年、シングルチャートNo.1に輝いた「アイ・ライク・ザ・ウェイ」で一気に花開いたハイ・ファイブだ。テキサス州ウェーコー出身のグループは、いわば南部版ニュー・エディション。15歳のトニー・トンプソンがラルフ・トレスヴァントばりに高音域でささやく。続いてシングルチャートTOP10入りを果たした「アイ・キャント・ウェイト・アナザー・ミニット」は、どこをとっても狂おしい。ハイ・ファイブはその後2年間、「ジャスト・アナザー・ガールフレンド」「アイ・キャント・ハンドル・イット」「シーズ・プレイング・ハード・トゥ・ゲット」と、超ホットな曲を立て続けにリリースした。デビューアルバムでは、若かりしころのモブ・ディープのプロディジーもラップを披露。残念ながら、後年は悲劇が相次いだ。2007年、トニー・トンプソンは薬物の過剰摂取により31歳で他界した。


Translated by Akiko Kato

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