アメリカ土着の呪縛、『ウィスコンシン・デス・トリップ』とは?

教科書に載らないアメリカ史の濃厚かつ圧倒的な“闇”

とはいえ『ウィスコンシン・デス・トリップ』には猟奇事件のディテールや陰惨な惨殺写真は載っていない。アメリカの田舎町の呪縛といえばトビー・フーパー監督の映画『悪魔のいけにえ』(1974)やジャック・ケッチャムの小説『オフシーズン』などバイオレンス系の作品を思い出すかも知れないが、かなり趣を異にしたものだ。

19世紀末アメリカでは亡くなった子供の遺骸を正装させて撮影することはよく行われ、本書にも収められているが、決して露悪的に扱われてはいない。ヴァン・シェイクの写真はさりげないポートレイトやスナップショットであり、それでいて人々の暗い表情や空を覆う黒雲が、ページを繰るごとに読む者の精神を蝕んでいく。

それは本書のテキストも同様だ。 大量殺人や超常現象といった派手な事件や残虐な表現はなく、淡々と事件が綴られている。“本書の写真や出来事は当時、際立って異常だったり、センセーショナルに捉えられたものではない”という序文のとおり、『ウィスコンシン・デス・トリップ』はあくまで“日常”を切り取ったものだ。ただ、“ポーターズフィールドの農夫ピーター・ピーターソンが自宅で首を吊って自殺した。彼は納税で悩んでいた”、“トゥ・リヴァース教育委員会はジフテリアの流行のため、小学校を休校にすることに決定した”、“シカゴを徘徊していたジェインズヴィル在住のルイズ・ロスさんは、メンドータ精神病院に入院することになった”、“スティーヴンズ・ポイント在住のジョン・パベロウスキ(16歳)は喫煙が原因で精神異常をきたした”といった事件の数々は、じわじわと心の中に蓄積されていく。

それは『ウィスコンシン・デス・トリップ』の長所であり、弱点でもある。キャプションのない写真の数々と膨大な記事で埋め尽くされた全260ページは、教科書に載らないアメリカ史の濃厚かつ圧倒的な“闇”に全身を浸すことが出来る。その一方で、どぎつい描写もなく、淡々と続く報道記事を走破するのはかなりの根気を必要とする。1973年の初版から半世紀近く世界規模でカルト的に支持されてきたにも拘わらず、邦訳が出たことがないのは、即効性もなく文章量も多く、採算が合わないからだと思われる。

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