関係者が今こそ明かす、ワン・ダイレクションが21世紀最大のボーイズバンドになった理由

2012年9月20日、ロンドンのRoundhouseのステージにて(Photo by Jo Hale/Redferns/Getty Images)


当時斬新だったソーシャルメディアの活用術

ご存じの通り、ワン・ダイレクションは結局『Xファクター』では3位に終わったが、コーンウェルはすぐさま自らのレーベルSyco Musicに引き抜いた。彼らはすでに番組でも、2011年春の『Xファクター』ライブツアーでもアーティスト養成ブートキャンプを経験済みだった。舞台慣れはしていたが、スタジオ側は新たな課題を提示した。「ワン・ダイレクションの役割分担を決めなくてはならかなった」とフォークは言う。5人それぞれの声をどう組み合わせるか。その問題の解決策として、彼らが選んだのは「とりあえずなんでもやってみる」。全員が全てのことにトライした。

「彼らはそうやって自分を模索していたんだ」とフォークは付け加える。「ハリーはとりあえずレコーディングしよう、彼は物怖じしないから、という感じ。リアムの声は歌いだしには完璧で、その上にゼインのファルセットを重ねる。ルイは『チェンジ・マイ・マインド』で才能を開花させた。長い間試行錯誤を繰り返して、それぞれ自分の強みと弱みを探っていったのさ。楽しい作業でもあったけどね」最初にナイルに本格的なギターレッスンを施したのもフォークだった。彼らが「ワン・シング」を一緒に演奏する動画は、幸い今もYouTubeで閲覧することができる。



「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」は2011年9月11日にイギリスでリリースされ、UKシングルチャートで初登場1位を獲得――ただし、ビデオのほうは1カ月前から公開されていた。ワン・ダイレクションがイギリスやヨーロッパですぐにヒットするという確証はなかったものの、地元での勝算は高かった。昔からヨーロッパのマーケットはアメリカよりもボーイズバンドに好意的だった。イン・シンクにしてもバックストリート・ボーイズにしても、母国を制する前に海外で大ブレイクしている。それゆえコテチャもフォークも、1Dがアメリカでブレイクするとは思っていなかった。フォークはバンドのサウンド作りについてこうも言っている。「あまりにもアメリカっぽいサウンドにはしたくなかった。狙いは――少なくとも僕らの間では――アメリカで成功させることではなかったからね。イギリスで成功しよう、あわよくばイギリス以外でも、という感じだった」

「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」のリリース前にYouTubeに動画を公開して期待感をあおる、という戦略は、のちにコロムビア・レコード(バンドのアメリカでのレーベル)もアルバム『アップ・オール・ナイト』で採用した。2011年11月のUKリリースから2012年3月のUSリリースの間、コロムビアは従来のラジオオンエア戦略を避け、代わりにソーシャルメディア上での話題作りに力を入れた。『Xファクター』時代からずっとワン・ダイレクションはインターネットで話題騒然で、ファンと交流したり、暇な時間にはふざけた動画を作ってファンと共有していた。コテチャと作ったおばかソング「Vas Happenin’ Boys?」は、拡散動画のハシリだった。

「彼らは直感的に心得ていました――世代的なものかもしれないけど――ファンに訴求するすべを分かっていたんです」とコテチャ。「しかも、素のままの自分で語りかけるんですよ。それがあの子たちらしい。カメラが回っても、普段とまったく変わらないんです」



ソーシャルメディアはワン・ダイレクションのコンンテンツや、自分たちの街に来てほしいという嘆願書であふれかえった。ラジオ局には、「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」がリリースされるずいぶん前からリクエストが殺到した。いざリリースされるや、コテチャは(その日はスウェーデンにいた)ブラウザを更新するたびにiTunesのチャートの順位が上がっていくのを夜通し見つめていた、と振り返る。

『テイク・ミー・ホーム』のレコーディングは主にストックホルムとロンドンで、初のワールドツアーの最中から終了後にかけて行われた。『アップ・オール・ナイト』の成功で、トップレベルの作曲家たちが集結した――エド・シーランに至っては、報われない恋に心乱される男の心情を歌った「リトル・シングス」と「オーヴァー・アゲイン」の2曲を提供――だが舵取りをしたのはコテチャ、フォーク、ヤコブで、全13曲中6曲を共同制作した。1Dの方向性を考えるにあたり、コテチャは再びボーイズバンドの歴史に立ち戻った。「僕の理論では、2ndアルバムは1枚目と同じようなサウンドにする。そして3枚目で新しい方向に動き出す、というものでした」

それでもやはり、2枚目のアルバムにはつきもののプレッシャーとも格闘した。レーベル側は「ホワット・メイクス・ユー・ビューティフル」第2弾を望んでいたし、衰え知らずの1D現象はストックホルムのスタジオの窓からも見て取れた。あまりにも大勢のファンが詰めかけたため、道路を封鎖しなくてはならなかった。行方不明者の写真を手にした警察官が出待ちをする女の子たちの間をかき分け、両親のもとへ連れ帰る少女を探し回っていたのを、コテチャは今も覚えている。

Translated by Akiko Kato

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