PANTAと鈴木慶一、お互いの魅力ーその後、お二人は90年代にP.K.O.というプロジェクトをやられたりして交流が続きます。それぞれ音楽的なアプローチは違いますが、どちらも言葉を大切していて、個性的なロック詩人であるところは共通していると思います。PANTAさんから見て、慶一さんの歌詞や音楽性の魅力はどんなところでしょう。PANTA「慶一はシニカルなところが光るんだよね、ひねくれてるっていうか、細かく分析してもわからないところがある」
鈴木「俺もわからないからな、自分の歌詞に関しては。最近、聴き手に対して作ってる意識がどんどん薄くなってきてる。どこかで少しは考えてるけど、自分が面白いと思えたら良いんじゃないかと思うようになってきた」
PANTA「No Lie-Senseの新作(『駄々録~Dadalogue』)とか最高だよ。最初、KERAの曲かなって聴いてた曲が慶一の曲だったり、慶一の曲かなと思ってたらKERAの曲だったり。こんな二人の趣味って似てたっけ?って思ったね。メロディーも歌い方も」
鈴木「3枚目だからすり寄ってくるんだよ。KERAと一緒にやると、ロック的なイディオムを排していくから、キュイーンっていう(ロックなギター・サウンドが)なくなっていく。一人だと、ああいうアルバムは作れないね」
PANTA「大昔、KERAが作った『ヤマアラシとその他の変種』っていうアルバムの匂いがしたな。あれも慶一とKERAで作ったようなもんだから」
鈴木「KERAが劇団とコントとミュージシャンを集めて、俺も曲を書いて、PANTAにはベースを弾いてもらった」
PANTA「俺がベースを弾いてエンケンが歌ったんだよ。岡本太郎の歌(「岡本太郎の眼(マーシャルや 強者共が夢の音)」)。最高だったね」
ー慶一さんから見て、PANTAさんの歌詞や音楽の魅力ってどんなところですか?鈴木「なんて言ったらいいんだろうなあ。PANTAの歌詞はストレートに見えるけどストレートじゃないですよ。1行のなかですごくいろんなことを想像させる。あと、現実に起こったことに対するコメントを歌詞に託してる部分もたくさんある。だから、詩人が作った新聞を読んでる感じだよ」
PANTA「さらに奥底にトリプル・ミーニングみたいな歌詞が並べられてるんだよ。No Lie-Senseもそうだけど」
鈴木「そうだね。ダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングを考えて、PANTAも歌詞を作ってる」
Photo by Hana Yamamoto —ロックは音楽として楽しむだけではなく、そこに込められたメッセージを読み解く面白さもありますよね。最近は音楽に政治を持ち込むな!という世論もありますが、ロックは権力と戦う武器という面もあって、特に海外のロックは巧みに社会的なメッセージを歌詞に盛り込んできました。鈴木「ビートルズなんかうまく隠してるよね」
—お二人はそういった部分も、日本語ロックとして昇華されていますよね。お二人の歌詞には、詩的なイマジネーションと共に鋭い批評性を感じさせます。PANTA「批評と批判は違う。批評すると全面否定されたように感じるやつが多いんだよ、ケツの穴の小さいやつがね。そうじゃなくて、批評されたら『ありがとう!』なんだよ」
鈴木「良いこと言うね。知性と理性は違うからな。知性に溺れると理性をなくす」
PANTA「そんな話が会話のなかでポーンと出来るのが慶一なんだよ」
鈴木「PANTAはポリティカルにはオムニサイトだと思うね。要するに左とか右だけじゃなくて、上も下もある。この360度の位置をキープしているのは素晴らしいことだよ」
ーダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングという話も出ましたが、お二人の歌詞には様々な意味やメッセージが隠されていますよね。PANTA「それをわかってくれるから、お互いに『イエイ!』って感じになるんだよ。だって、種明かしみたいなことを言っちゃったら全然つまん
ない。『これはこういう意味を込めました』なんて説明したらバカバカしいよ」
鈴木「そこ、重要だよ。『こういう意味を込めました』なんて言わないんだよ」
PANTA「安っぽくなっちゃうし、聴いてるほうもつまらない。自分で考えて『そうか!』ってうのが楽しいんだから。(フランク・)ザッパの場合はアメリカのCMのネタとか、そういうのがいろいろ入ってるんで俺たちにはわからない部分が随分ある。(ボブ・)ディランの新しいアルバムなんかも、やたらいっぱい固有名詞が出てくるし。でも、慶一とは、同じエリア、同じシチュエーション、同じ年代で生きてるから、『そういうことね。うん、わかる、わかる』ってなる」