圧倒的なパワーが魅力、型にとらわれないアーティスト「MADSAKI」

MADSAKI

挑発的な言葉、名画の模倣、政治家の肖像画、妻を描いたプライベートな作品、大好きなアニメ、時計を描いた作品などなど、テーマにしても、その手法にしても、型にとらわれることがなく、自由自在に表現していくMADSAKI。

大阪出身で、6歳の時からNYで暮らしていた背景を持つ彼は、村上隆との出会いによって、今や世界的に大きく着目される存在となった。日米の文化の違い、社会的問題意識、サブカルチャーへの愛など、彼の作品には様々なものを読み取ることができるのだが、何よりも魅力なのは、作品が持つ圧倒的なパワーなのではないだろうか。

※この記事は2020年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.010』に掲載されたものです

ー父親の転勤で6歳からアメリカに住んでいたんですよね。NYのParsons School of DesignのFineArt科に通うくらいだから、絵を追求しようと思っていたんですか?

MADSAKI:いや、全然。高校4年の時、「おまえ日本に帰って大学受験しろ」って言われて、ふざけるなと思って。次の日に父ちゃん母ちゃんに、「絵の学校に行く」って言って。「絵なんて全然描いてないじゃん」「明日から描くから」って。そんなノリ(笑)。

ーParsons卒業後、一度絵をやっていくのが嫌になるんですよね。再び絵に火がついたタイミングってあったんですか?

MADSAKI:ジョニオくん(UNDERCOVERの高橋盾)とコラボをやったんだけど、また絵が嫌いになって。本当、絵とはLOVE & HATEなんだよね。ああじゃない、こうじゃないってずっと迷走してるわけよ。で、ある日、アートのことがどうでも良くなったんだよね。もうこれでダメだったら俺もうやめようと思って。それで、もう一人の自分と会話してるみたいな感じで、英語を汚い文字で描いただけにしたのが文字シリーズなんだけど。

ー最初は何の文字を描いたんですか?

MADSAKI:描く前の白いキャンバスってスゴい嫌なのよ。圧迫してくるし、何を描いていいのかわからないし。一回キャンバスを汚したくて、「HOLY FUCKING SHIT」と描いたのよ。それをギャラリーに持っていったら、売れちゃって(笑)。そこから調子乗り始めちゃったんだよね。

ーNYに住んでいたことが自分の絵に与えた影響はありますか?

MADSAKI:音楽だね。アンダーグラウンドも面白かったから。

ー音楽は何が好きでしたか?

MADSAKI:小学校3年生の時にカルチャー・クラブがいいなと思って。それで、81年にMTVが始まると、オンタイムで観てたの。俺は音楽からアートに入っていったみたいな感じなんだよね。ニルヴァーナも有名になる前にホーボーケンで観てたし。ソニック・ユース、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとかも好きで。メタリカはずっと好きだから。当時はネットがないから、レコード屋に行って、いろんなジャケットを見たり、インタビューで「こういうアートが好きで」って書いてあるのを読んだりして。そこからいろいろディグっていった。

ーそれで、Instagramにアップした新年の挨拶でも、ネズミ年ということで「RATT」にしているんですね。上手いなと思いました(笑)。

MADSAKI:わかったね!(笑)。そこなんだよね。高校でも人種差別を受けたから、音楽がずっと心の支えになってた。美術の方は、子供の時に毎年夏休みに家族で世界のあちこちに出かけるんだけど、父ちゃんが美術好きだから、必ず美術館に連れていかれるのよ。だから、名画をそのまま描く「WANNABIE’S」っていう名画シリーズは、子供の時に観てた名画を全部俺が今再現してやるみたいな感じ(笑)。どうせやるなら、サイズも何もかも全部同じにしちゃおうと思って。顔を描くのは面倒くさいから、全部ニコちゃんでいいやってなって(笑)。それでどんどんハマっていったのね。

【画像】MADSAKIのイラスト(8点)

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