ガガやアリアナの近作に貢献、無名のグラム・ロッカーがポップスの世界で成功できた理由

ソングライターとしての才能が認められ、フォール・アウト・ボーイの曲は大ヒット

セミ・プレシャス・ウェポンズの駆動力だったトランターがレディー・ガガのと一緒にライブを行ったのは2007年まで遡る。自信とセクシュアリティが表出するギター・ドリヴンな音楽と衣装で知られたこのグループには、熱狂的なフォロワーがたくさんいたにもかかわらず、スタジアム・クラスのアーティストに上り詰めることはなく、バンドの美意識が現実のものとなった。

最初はレディー・ガガがセミ・プレシャス・ウェポンズの前座をしていた。そして、彼女が世界的スーパースターの階段を駆け足で登ったあと、彼女は後ろを振り返り、セミ・プレシャス・ウェポンズを自分のライブのオープニングとして1年間起用した。しかし、トランターが曲作りの道を見つけたのは、所属していたレーベルの重役がバンドからの連絡を無視するようになった時だと言う。

「セミ・プレシャス・ウェポンズは3回目のレコード契約をエピック・レコードと交わしていて、その時点でもうすぐ切られると勘付いていた。だって、彼らはマネージャーの連絡に返信しなかったし、僕たちのプロフィールをウェブサイトから削除していたから。このとき、まだ切るとは言われてなかったけど、いずれそうなることはわかっていたよ。そうこうしているうちに、ワーナー・チェペルの出版部との契約をまとめた人が会社を辞めた。もうね、『まったく、サイテーだね。音楽出版社すらなくなっちゃった』と思ったよ」と、トランターが当時を語った。

ラッキーなことに、その頃のワーナーの重役の後任となったケイティー・ヴィンテンがトランターのビジョンに可能性を見出し、トランターはヴィンテンにバンドの最新作を聴かせた。この作品はそれまでの70年代グラム・ロック的なヴァイブは鳴りを潜め、オルタナティブ・ポップ色が色濃くなっていたが、ヴィンテンが興味を持ったのはバンドではなくて、フロントマンの曲作りの才能だったのである。そして、ポップス界のアーティストたちのために曲を作ってみないかと誘った。この会話のすぐあとにトレンターの最初の大ヒット曲が誕生する。それがフォール・アウト・ボーイのポップ・ロック曲「センチュリーズ」で、現在までに4度プラチナを獲得している。

Translated by Akiko Kato

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