ビートルズ来日騒動、週刊誌が報じた「トンデモ記事」と誤解だらけのイメージ

『ポール! わたしと見た東京の朝やけを忘れないで……』というものすごい見出しは、内容もものすごい。彼らの帰国前夜、ポールの部屋に呼ばれて一夜を過ごしたと自ら語る女性の手記だ。

《「ポール、あなたの歌がききたいの」ベッドの端に並んで腰をかけると、ポールがささやくようにうたってくれる。ポールの長いまつげがこちらを向く。手をとり合って踊った。信じられない。信じられない。何度も夢ではないかと思った》

《ポールがカーテンをすこしあける。空が白みはじめていた。めずらしく美しい朝やけだった》

《「ロミー、来年またかならず会えるよ」
 ベッドの端に腰かけたポールの、のびかけたヒゲにカーテンを通した朝日が薄い影をつくった》

……といった調子である(ちなみに気象庁の記録によるとこの日の東京は雨)。


『女性セブン』1966年7月20日号より引用

最後の『贈呈された日本女性4人の告白』は、(芸者とは別に)深夜、主催者が4人の部屋に銀座のクラブの女の子たちを“派遣”したというもの。これまたにわかには信じがたい話だが、記事には彼女らの写真も載っており、そのうちひとりはその時もらったというサイン入りのナプキンを手に見せている(ちなみにジョンとジョージは寝ていて、相手をしたのはポールとリンゴだったという)。

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これら記事の大半は、真偽のほどはわからない。だが、当時週刊誌に掲載され、それを読んだ人々(主にビートルズをよく知らないおとな)がいたということは事実である。来日前も後も、メディアによってバーチャルなビートルズ像が創り出され、ファン以外の日本人はそれを通じてビートルズを理解(誤解)していた。

これらの多くは、“ビートルズ正史”に登場することはない。『ミュージック・ライフ』のような音楽誌でも、まず報じられることのなかったものだ。熱心なファンであっても、初めて知った(繰り返すが、真実かはわからない)という人も少なくないはずだ。

その最大の理由は検索性の低さによるものだろう。週刊誌の寿命は基本的に1週間。次の週には新しい号が出て、それ以前のものは流通しない。ましてや50年以上前のものである。むろん、ネットにあるわけはない。低次元のゴシップゆえ重視されていなかったということもあろうが、それ以前に、存在すらあまり知られていないというのが実態ではなかろうか。

そこで筆者は国会図書館や大宅壮一文庫などで、それら当時の週刊誌を1冊ずつ手でチェックした。期間はビートルズ現役時代のうち、1963年から1970年末まで。対象は19誌(あわせて新聞も14紙通読した)。

どの号のどこにどのような記事があるのかわからないため、愚直に端から端までしらみつぶしするしかない。検索に慣れた身には苦行に近い作業たが、それだけに得られたものも大きい。そのうち、来日期間に絞ってまとめたのが拙著『「ビートルズと日本」週刊誌の記録 来日編』である。

本書には、先のトンデモ記事(?)を含む各誌について、解説とともに実記事を掲載している。当時の記事の多くは、確かに事実誤認が多かったり稚拙な内容であったりするのだが、後年のどんなに詳しく正確な書物をも寄せつけない圧倒的な存在感がある。

ぜひ実際の記事をお読み頂きたい。これまで我々が接してきたのとは全く違うビートルズがそこにあるはずだ。






「ビートルズと日本」 週刊誌の記録 来日編
著者・大村 亨
発売中
B5判 424ページ
詳細:https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0649427/


大村 亨
『ビートルズ日本史』研究家。1969年東京生まれ。早稲田大学人間科学部卒。1963年~70年の新聞14紙、週刊19誌に掲載のビートルズ関連記事とテレビ・ラジオ番組をデータベース化し、デビューから現在までの“ビートルズと日本”の関係について調査・研究を続ける。

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