リンゴ・スターが明かす、80歳でもエネルギッシュな理由とビートルズにまつわる思い出

ジョン・ボーナムやキース・ムーンとの思い出

ー私があなたのドラムを好きな理由は、あなたが演奏で自分の個性をフルに発揮しているところです。スクリーン上で見せる姿とまったく同じです。あれは意図的ですか? 何かきっかけがあったのですか?

リンゴ:実は、俺は左利きなんだ。祖父のおかげで字を書くのは右手だが、ゴルフとか他のことは全部左利きだ。でもドラムに関しては、セットを組んで、ただ座って叩き始めた。たしかにいくつか技はある。俺はタムの深い音が好きだから、つなぎのパートではよくタムを多用する。心がけているのは、曲の一部になること。ボーカルが歌っているときは本気で演奏しない。ボーカルと一緒に演奏するようにしている。それを大事に今までやってきた。つなぎの部分では、こうした方がいいと感じたままに、感覚でプレイしている。だから多くの場合、2度目のテイクでは多少違っていたりする。意識してやっているわけじゃないんだ。どうしてそうなったのかは分からない。神様の思し召し、とでも言っておくよ。

ー以前ポールは、あなたがレイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」のフィーリングを上手くとらえるのをすごいと言っていました。初期の演奏にはそういったフィーリングが良く出ていたと思います。あの曲から影響を受けたのでしょうか?

リンゴ:いや、あの曲はよく知ってるけどね。レコードもいろいろ聞いていたけど、とくにドラムの音にこだわって聞いていたわけじゃない。例えばアル・グリーンの(1971年の曲)「アイム・ア・ラム」、あの曲ではドラムのハイハットが実にいい仕事をしている。あれにはやられたね。素晴らしい。昔の曲で唯一俺がこれだと思うドラムソロは、コージー・コールの(1958年のインストゥメンタル曲)「Topsy」。俺が気に入っているのはあれだけだ。一時期のジョン・ボーナムのソロもなかなかのものだった。

ーボーナムとキース・ムーンの両方と非常に親しかったというのは面白いですよね。特に問題児だったのはどちらですか?

リンゴ:いや、2人とも問題児だった。俺が70年代にここに住み始めたとき、ジョン・ボーナムは(レッド・ツェッペリンが)LAに来るたび、「リンゴの家まで行って、奴を捕まえてプールに放り込んでやろう」と企んで、実際その通りにした。昼間だろうと夜中だろうと関係なく、俺をプールに放り込んだもんさ。

キースは人間として素晴らしい奴だった。だが俺たちみんな薬物にはまってて、彼もそうだった。うちの子供たちからは「キースおじさん」と呼ばれていて、一時はうちで暮らしたこともある。あの2人のせいでドラマーは評判が悪いんだ――ドラマー連中はみな頭がイカれてるってね! 世の中にはイカれてないドラマーも大勢いるが、あの2人は俺の友人だった。

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ーキース・ムーンがしょっちゅうあなたのお子さんにプレゼントを買っていたという逸話があります。ただし、実際にお金を払っていたのは彼ではなかったんですよね。

リンゴ:彼がジュークボックスをもって家に来たことがあって、「ワォ、キースありがとう、こいつは本当にすごい」とみんなで喜んだ。で、勘定を払ったのは俺。ある年のクリスマスにはサンタの格好をして、雪の女王に扮したガールフレンドと一緒にプレゼントを持ってきた。でも支払いは俺! しまいにはキースにこう言ってやったよ、「頼む、もうプレゼントはいらん、俺はもう払えない!」ってね。

Translated by Akiko Kato

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