星野源が語るソロデビューからの10年、時代と戦い続けてきた歩み

自分にとってのパンクを
J-POPのど真ん中へ

ー2013年の3rdアルバム『Stranger』のレコーディング終盤に、星野さんはくも膜下出血で倒れてしまったわけですが、このアルバムはその後の星野さんの音楽にもつながっていく、明確な変化が感じられるアルバムでしたよね。1曲目の「化物」からエネルギーがすごくて、今を燃やしている感覚が詰まっている作品でした。



星野:最初の2作品は誰もやっていないことを見つける作業が自分にとっての面白さだったんですけど、『Stranger』くらいから面白さの追求の仕方が変わってきたんです。J-POPというもののど真ん中に、自分が面白いと思うものを持っていくような感覚があって。ただ、レコーディングがちょうど終わったぐらいの頃に病気で倒れて、1回目の手術をしたこともあって、このアルバムは今言ってくれたように過渡期のアルバムという感じがしますね。でも、病院で改めてアルバムを聴いた時に「化物」「ワークソング」「夢の外へ」という並びがすごく明るくて、自分で作った曲にすごく励まされたんです。




ー人生の一つの転機になったと星野さんも仰っていますが、病気をして自分のなかで変わったことってなんでしたか?

星野:うーん……経験のある人ならわかると思うんですけど、入院中ってただひたすらに痛みと自分に向き合う期間だったんですよ。僕の場合は、特に表現活動もしていたから、なるべく入院していることがバレないようにしなきゃいけなくて、他の入院患者さんとコミュニケーションをとることもできなかったし。それでもう、自分と向き合うのは飽きちゃったんですよ、向き合い切っちゃった(笑)。

音楽を聴いてもつらいし悲しいし、テレビを見ていても誰か知り合いが出てくると悲しくなっちゃうし。何もできない自分というものを何をしていても感じてしまうんですね。で、退院してからしばらくして、久しぶりに何か聴こうかなと思えた時に再生したのがプリンスの「I Wanna Be Your Lover」だったんですよ。それで目の前が急に輝きだしたんです。ミドルテンポなのに自分の心をすごく盛り上げてくれるような感じがあって。こういう音楽が俺、大好きだって思い出して。シングルのB面とかではそういうブラック・ミュージック的なものに挑戦したりしてたんだけど、これを今度は全面的にやってみようと思えたんです。

ーその経験が、のちの『YELLOW DANCER』につながっていくと。

星野:そう。もう、悩みとか自分と向き合うのはやり切ったし、楽しもうと。あと「踊ろうよ」とも思ったんですね、身体が動く喜びを音楽で感じたいと思って。昔、両親が見せてくれた海外フェスのような光景を、自分でもちゃんと見てみたいなって思って。日本のダンス・ミュージックが奏でられている場所の景色を変えたいっていう明確な思いがすごくありました。そこからマイケルやプリンス、ディアンジェロのような人たちの音楽に痺れている、日本人としての自分が生み出した音楽で、みんなに踊ってほしかったんです。ただ洋楽の真似をするんじゃなくて、「日本の情緒」のようなものを表現したいとも思ってました。



ーまさに仰るとおりで、2015年の4thアルバム『YELLOW DANCER』では星野さんのルーツにあったブラック・ミュージックの要素を咀嚼しつつ、日本的な情緒を描くことで音楽シーンの景色を一変させる作品になりましたよね。

星野:すごく評判もよかったし、やりきれたなって思いもありました。先駆けてリリースされたシングルの「SUN」のヒットも大きな自信になりましたね。



ーそのあと星野さんは、さらに大きなムーブメントを生み出すわけですよね。シングル「恋」は、星野さんが主演を務めたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の人気や、「恋ダンス」と呼ばれる振り付けが話題を呼び、YouTubeには「踊ってみた」動画が溢れました。まさに社会的な現象で。

星野:(2019年11月の)ワールド・ツアーの前にアメリカ大使館へワーキング・ビザを取りに行ったんですよ。そしたら、僕のスタッフが「君は恋ダンスを踊れるか? 踊れない人には許可しないよ」って職員の方に冗談を言われたらしくて。僕も「踊れんの?」って聞かれたかった。僕の対応をしてくれた職員さんは厳しめの人でした(笑)。考えてみれば、キャロライン・ケネディ前大使が恋ダンスを踊ってくれてたんですよね。

「恋」では総決算を作ろうって気持ちがすごくありました。イントロで二胡を使ってるのは、SAKEROCKの「慰安旅行」っていう一番最初に作った曲の最初のアレンジで、メイン・メロディを二胡で弾いていたから。それをもう一回やろうっていうのがアイデアとしてあったんです。本当にすごく変わった曲ですよね。レコードの回転数を上げたモータウン・ナンバーのようなサウンドに、とてつもなく変な楽曲が、J-POPとして日本中の人たちに聴いてもらえたのは達成感がありましたね。


Edited by Toshiya Oguma

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