星野源が語るソロデビューからの10年、時代と戦い続けてきた歩み

生活を歌ったソロ初期
震災を通じて気づかされたこと

ー高校生になって、人前で音楽を披露するきっかけになったのは細野晴臣さんの音楽だったんですよね?

星野:そうです。高校2年生の時に演劇のワークショップに行ったんです。そしたら高校生は僕だけで。参加している大人の先輩たちに面白い音楽を教えてもらおうと思って「好きな音楽なんですか?」って質問したんですよ。そしたら「細野さん、聴いてみなよ」って勧められたんです。「持ってるなら貸してください」って頼んだんだけど「いや自分で買わないと聴かないじゃん」って言われて、それで買ったのが『HOSONO HOUSE』でした。そこからどっぷりとハマって、そのあとトロピカル三部作(『トロピカルダンディー』『泰安洋行』『はらいそ』)、そして、はっぴいえんどと聴き進めていった感じです。特に『泰安洋行』が好きで、その影響でバンドを組んだんだけど、全然うまくいかず。その後に結成したバンドがSAKEROCKだったんです。SAKEROCKでも同じように『泰安洋行』的なサウンドをやろうとしたんですけど、そもそも技術力がなさすぎて無理で(笑)。「じゃあ、自分たちの音楽をやろうか」って、本格的に活動が始まった感じでしたね。

ーヴォーカルに自信のなかった星野さんが歌うきっかけとなったのが、細野さんの影響によるものだったというのはよく知られている話ですが、今一度、伺っておきたいです。当時、僕は「風呂ロック」に星野さんを観に行ったんですよ(吉祥寺の老舗銭湯・弁天湯で開催されたライブシリーズ。星野は2010年2月、初のソロ公演をこのイベントで披露した)。


星野:来てたんだ(笑)! すごい。懐かしいなぁ。歌を歌うのは趣味でやっていたんですけど、「ウチでもやらない?」って声をかけてもらうようになって。気がついたらどんどん広がっていって。結構、頑張ってブレーキはかけてたんですけど、2010年に細野さんとレーベル(デイジーワールド)の方からお声がけをいただいて。細野さんとは2005年にハイドパーク・ミュージック・フェスティバルという音楽フェスにSAKEROCKで出たときに初めてお会いして、仲良くさせていただくようになってたんです。本当はずっと歌いたかったんだと思うんですけど、やっぱり度胸がなかったんですよ。でも、20代の終わりだったし、度胸がないとか言ってる場合じゃない。細野さんも誘ってくださってるんだし、もうやるしかないだろうって腹を括って。そこから能動的に歌い始めました。

ー細野さんも自分の歌に自信がなかったけど、ジェイムス・テイラーを聴いて「歌ってもいいんだって思えた」っていうエピソードがあって、その細野さんに星野さんが勇気付けられたって、本当にいい話ですよね。音楽がつながっているというか。

星野:そうですね。自分はマイケル・ジャクソンとプリンスが大好きで憧れていたけど、そういう歌は歌えないなと思っていた時に細野さんの音楽を聴いて「スモーキーな声でもカッコいい人がいるんだ」って気づくことができたんです。しかも、それが歌手じゃなくて、音楽家として歌も歌っているというのにすごく励まされて、僕もそうなりたいと思って。だから、今でも自分のことを「歌手」とは絶対に言わないし、音楽家としての枠のなかで歌が一つのやり方としてあるという感覚です。

ー2010年にリリースされた1stアルバム『ばかのうた』は、アメリカーナと細野さん由来のエキゾチカ、そして日本的なシンガー・ソングライターの情緒が合わさった傑作でした。初めてのソロ・アルバムでどういうものを作りたいと思ったんでしょうか?

星野:バンドでも自分で作曲しているし、プロデュースしているから共通する部分はたくさんあるんだけど、なるべくSAKEROCKで積み重ねたものに頼らず、一から表現したいなと思ってました。暗い歌しかできなくて、でもそれでいいやと思って作ったのが『ばかのうた』です。



ー音もすごいんですが、当時の僕は歌詞に衝撃を受けて。生活感があるにも関わらず、それが画一的な描かれ方をしていなくて。シビアだし、リアルだし、とにかく生々しかった。こういう表現に至ったのは、なぜだったんでしょうか?

星野:当時、自分自身についての歌を歌うシンガー・ソングライターとか、J-POPにおける楽曲がすごく多くて。それに対してのオルタナティブな行為だったんです。この感じは誰もやってないだろう、ともすると普通に見えるんだけど、本当はないよねって。そういったものを探していく作業が、自分にとっても面白くて過激だった。だから『ばかのうた』は、自分にとってのパンクとして作ったんですけど、なかなかわかってもらえませんでしたね。レンタル店でも「オーガニック」って書かれたコーナーの棚に置かれて「オーガニックってなんだよ、クソがっ!」って思ってました(笑)。

ー2011年の2ndアルバム『エピソード』は東日本大震災の直後にリリースされた作品でしたが、震災はご自身の作品に影響を与えましたか?

星野:本当はもっとポップなもの、次の『Stranger』でやったような作品を作ろうと思っていたんだけど、スタッフが途中で参加できなくなってしまったり、いろいろな理由があってできなかったんですよ。さらに社会的に自粛ムードが漂っていたし、自分たちの職業がすごく揺れた時期だったと思うんです。「本当に必要なのか?」って。そういうのも踏まえた上で、それでも何ができるんだろうって考え抜いた先に、生活を歌うことしかできないなって思ったんです。だから、結果的に『ばかのうた』でやろうとしたことをソリッドに突き詰めていくような方向性になった。



ーこのアルバムからのシングル「くだらないの中に」は当時、ラジオでよく流れていましたね。

星野:「くだらないの中に」はポップなラブ・ソングでかつ、パンク・ミュージックのつもりだったんです。髪の毛の匂いを嗅いで「くさいなあ」って言い合う、それってものすごく愛だなって。身近に幸せがあるとかそういうことが言いたいんじゃなくて、確かに愛を歌っているんだけど、それは今までなかった描き方なんだ、それがパンクなんだと思ってたんだけど……あの曲がラジオでたくさん流れたのは、ホッとできる曲だったからだと思うんですよね。それはよかったし、嬉しかったんだけど。本当は身の回りに幸せがあるよ、とかそういうことを歌ってる曲ではないんです。


「くだらないの中に」MVには、渋谷クラブクアトロでの初ソロワンマン公演や、上述の「風呂ロック」での演奏シーンも収録

Edited by Toshiya Oguma

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