メイド・イン・ジャパンは誰をエンパワーしたのか? 日本の楽器メーカーがもっと誇るべき話

スヌープ・ドッグとドクター・ドレー。1994年、ニューヨークで撮影(Photo by mark peterson/Corbis via Getty Images)


NARUTOはいかにナイジェリア人を勇気づけたか

日本人は自分たちが、ある独特なやり方で、世界のなかで「声」を持てずにいる人たちにさまざまなツールを授けてきたということに、実はあまり気づいていなくて、恥ずかしながら自分も実はそうだったんです。冒頭のルークさんのお叱りは、それに気づかせてくれるきっかけだったんですが、もうひとつ大きなきっかけがあって、それは、『WIRED』日本版という雑誌でアフリカの特集(2017年VOL.29「ワイアード、アフリカにいく」)をやったときにナイジェリアに取材に行った編集部員から聞いた話なんです。

彼が、ナイジェリアで漫画を描いてるコレクティブに取材していたら、彼らが『NARUTO』の大ファンで、日本の漫画が大好きだと言っていたそうで、なんで日本の漫画が好きなのかと問うと、彼らはこう答えたというんです。「日本の漫画やアニメと出会うまで、『主人公は金髪の白人じゃなきゃいけないんだ』と思っていた。でも、日本の漫画を見て始めて『そうでなくてもいいんだ』『日本人が主人公でもいいんなら自分たちでもいいんだ』って気づいた」

この話、結構感動しちゃったんですね。コミックという表現チャンネルは、アメリカの金髪の白人にしかアクセスができないもので、そこに自分たちは入っていくことは許されていない、と彼らは思っていたわけですが、日本人はおそらくそんなこと思ったこともないし、漫画というものが入ってきたごく初期から、ずっと日本人が主人公のものをつくってきたし、なんなら主人公が学校一のいじめられっ子やすぐにお尻を出す小学生やサッカー少年が「国民的漫画」のヒーローとして認知されていたりするわけですよね。それは日本では、ごく当たり前のことなんですが、そのナイジェリアの若者たちの話を聞いて思ったのは、世界ではもしかしたら、そこまで当たり前のことではなかったのかも知れませんし、ともすれば誰も思いつきもしなかったことだった可能性すらあるのか?ということなんです。だとすると、日本のそうしたコンテンツというのは、実は彼らに、それまでとはまったく異なる視野を与えたことになりますし、大げさな言い方をするなら、コミックという武器を、彼らのものとして、彼らに与えたということにもなるわけです。それって、本当にすごいことだと思うんです。日本が世界にもたらした価値って、実は、世界で声を持てずにいる人たちに、彼ら・彼女らが自分なりの「声」を発見することを助けたということでもあるわけですから。


テクニクスのターンテーブルを操るアフリカ系の何者か。1988〜90年、オックスフォードで撮影(Photo by Universal Images Group via Getty Images)

そうやって考えると、AKAIのサンプラーMPC1000や、テクニクスのターンテーブルがもたらした価値の大きさは、さらに大きくなるように思うんです。これまで、「人がクールだって言ってくれるから“クール”って言って売り出そう」みたいなことしか言えてこなかった日本のコンテンツ産業やメーカーは、自分たちがやってきたことの重さ、価値の大きさを、そういう観点からもう一度定義し直した方がいい気がします。そして、そのなかに日本の楽器産業をちゃんと位置付けて、それがいかに巨大な文化変容を世界にもたらしたかを、もっと誇りに思うべきだし、そのことをもっと自慢して発信してもいいように思うんです。

Edited by Toshiya Oguma

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