イーグルス『ホテル・カリフォルニア』知られざる10の真実

9.  イーグルスはグラミー賞を欠席、授賞式はリハーサル中に視聴していた

1978年1月、イーグルスは『ホテル・カリフォルニア』の名誉ある年間最優秀レコード賞を含め、グラミー賞の複数部門にノミネートされた。しかし、アーヴィング・エイゾフは「ノミネートされるだけで光栄です!」という常套句には乗らなかった。華々しいセールスにもかかわらず、バンドは主要音楽メディアから叩かれており、彼はイーグルスが晒し者にされるのを嫌がっていた。そのため、グラミー賞プロデューサーのピエール・コセットが20周年セレモニーでの演奏をイーグルスに依頼したが、エイゾフは断ったと伝えられている。バンドが演奏する唯一のケースは、『ホテル・カリフォルニア』が賞を獲得することが保証されている場合だけだった。

賞の不正操作は明らかに論外なので、エイゾフは秘密の楽屋にバンドを隠し、最優秀レコード賞で名前が呼ばれたときのみ出演することを提案した。この案は、代理のアーティストが受賞するという案とともに却下された(ジャクソン・ブラウンとリンダ・ロンシュタットが代理人候補として挙がっていた)。最終的にイーグルスの受賞が決まったとき、司会者のアンディ・ウィリアムスは誰かが壇上に出てきて賞を受け取ることを期待し、そのまま置き去りにされてしまった。

エイゾフは急いでプレスリリースを発表し、イーグルスはそのとき、マイアミで新作の制作中だったと説明。「それは未来のことであり、これは過去のことである」という素っ気ない一言で締めた。ギタリストのティモシー・B・シュミットは後に、彼らがこの放送をリハーサル中に見たことを明かしている。もし会場で賞を直接受け取ることができなかったことに落胆していたなら、彼らは放送を見なかったはずだ。「誰が“ベスト”か競い合うコンテストという発想自体、それほど魅力的ではない」とヘンリーはLAタイムス紙に語っている。



10. 『タクシードライバー』『未知との遭遇』のプロデューサーが、『ホテル・カリフォルニア』の映画化を狙っていた

「『ホテル・カリフォルニア』について思いを巡らしたとき、『トワイライト・ゾーン』のような映画的な作品になるのではないかと考え始めていた」フライはかつて、BBC2のラジオ・インタビューで語っていた。「最初のラインでは、男がハイウェイを走らせている様子が描かれている。次の行では、遠くにホテルが見える。さらに、そこに女がいて、男がそのなかに入っていく……。それぞれのショットをつなぎ合わせることで、自分なりの結末を導き出すんだ」

この曲が持つ映画的な素質に惹きつけられたのがジュリア・フィリップスだった。彼女は1974年、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の強盗映画『スティング』によって、女性プロデューサーとして初めてアカデミー書を受賞し、歴史にその名を刻んだ。さらに『タクシードライバー』『未知との遭遇』とヒット作が続き、70年代の終わりにはイーグルスによるヒット曲の映画化に照準を合わせていた。エイゾフとの最初の打ち合わせで制作前の仮契約に至ったが、イーグルスが元マネージャーのデヴィッド・ゲフィンとワーナー・ブラザーズ・レコーズ社に対して起こした版権訴訟の詳細について彼女が質問すると、両者の関係は冷え切ってしまった。

エイゾフは次の打ち合わせにヘンリーとフライを同行させたが、誰に聞いてみても不愉快な結果に終わった。悪名高い暴露回顧録『You’ll Never Eat Lunch in This Town Again』のなかで、フィリップスはこのロックスターたちについて「傲慢で気難しく、白い粉には目がない人たち」と描写している。しかし、ヘンリーは『To the Limit』のなかでこの記述に異議を唱えている。「グレンと僕は、あの日のことをかなり鮮明に覚えている。僕らは彼女の家にしぶしぶ連れて行かれたんだ。(…)僕らはそこで礼儀正しく座っていたが、フレンドリーとは言い難い感じだった。友好的に振舞うには警戒心が強過ぎたんだ。彼女は僕らの緊張をほどき、仲間意識を作り出そうとしたのか、コカインの山でいっぱいの巨大な灰皿を引っ張り出してきた。でも、僕らは断った。彼女のことをよく知らなかったし、これはビジネス・ミーティングだ。それにまだ時間も早かった。彼女は当惑しているみたいだった」

真実がどうであれ、映画化の話は水泡に帰してしまった。グラミー賞欠席と同様に、バンド側はそのことで特に動揺したわけではなかった。「彼らは本気で『ホテル・カリフォルニア』の映画版を見たいとは思ってなかった」と、あるバンド関係者がエリオットに明かしている。「もともと彼らは映画産業に懐疑的だった。結局のところ、『ホテル・カリフォルニア』はそのことについて歌ってる曲だからね。初日からヘンリーは、この件に全く乗り気ではなかったのを覚えているよ。彼はコントロール・フリークだから、映画化となると仕切れない部分が出てくることを感じ取り、自分の最高の曲、もっともパーソナルな作品が、コメディ番組のレベルまで落ちぶれるのを恐れたんだ」

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Translated by Rolling Stone Japan

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