スパークスは50年のキャリアで何を歌ってきたのか?

哲学的な領域にまで踏み込んだストーリーテリング

ところで最近はYouTubeで、リアクション動画というのが流行っている。初めてその曲を聞いたリスナーが、該当曲を聴きながらリアクションしたり感想を述べたりする様を映し撮った動画だ。大抵の場合は、およそその曲を好きだとは思えないような、イメージのかけ離れたリスナーが、予想外の反応を示すことが面白さとなっている。ここでは動画はリンクしないが、先ほどの「This Town」をコーンロウのヘアスタイルのアフリカン・アメリカン・リスナーなどが聞いた時の動画がいくつか上がっている。この曲は変拍子を使った複雑な構成の曲で、どちらかというとヨーロピアンなテイストを持った曲であるが、それでも彼らはノリノリのリアクションで、むしろ我々の持っている先入観の方が覆されるほどだ。ぜひ検索してご覧になってみてほしい。ここでは現代アメリカの郊外の様子を戯画化した「郊外暮らしのギャングスタ気取りの男の子(Suburban Homeboy)」を聞いてみよう。ヒップホップやラップの世界を描写しているが、音楽的にはミュージカルの劇伴のようなテイストなのが面白い。



Suburban Homeboy

僕は郊外のギャングスタ気取り
郊外暮らしの彼女といつも一緒
僕は郊外のイカしたギャングスタ気取り
うちのプールの清掃人に「YO!犬コロ!」と呼びかける
僕のブカブカのバギーパンツ、キマってる?
僕のかけてるシャギーはちゃんと聞こえてる?
GAPのショップでどっかのボンクラに銃をぶっぱなすのさ
だって僕は郊外のイカしたギャングスタ気取りなんだ

僕は郊外のイカしたギャングスタ気取り
車の装飾屋に「YO!犬コロ!」と呼びかける
アマゾンの通販でコーンロウのカツラを買ったんだ
ファラカンのスピーチも聞き始めたんだ
ジェイ・Zそっくりのゴルフ・キャディーと一緒にね
というわけで、だって僕は郊外のイカしたギャングスタ気取りなんだ

彼女がYOYOと呼べば、僕はYOYOと応える
というわけで、だって僕は郊外のイカしたギャングスタ気取りなんだ

僕らは郊外のイカしたギャングスタ仲間
「YO!犬コロ」と声をかけるのは神に誓って本気だぜ
僕らの気分はやっぱオールドスクール
オックスフォードやケンブリッジ並みのお堅い守旧派なのさ
仲間はリスペクト、でも、領収書(レシプト)はもらっておけ
そうさ、僕らは郊外のイカしたギャングスタ気取りなのさ
(訳詞:鈴木亨)

かなりシリアスで辛辣なアメリカの郊外都市の状況も、このように歌われると赤塚不二夫の漫画のひとコマのように見えてくる。ユーモアを交えた表現はスパークスの真骨頂であるが、彼らの持ち味はそれだけではない。人間存在の根源的な孤独感や、関係の不条理にフォーカスした作品も数多くある。そこでは抜群のストーリーテリングと描写力、人間観察の洞察力を見せつけてくれる。2002年のアルバム『ちびっこ ベートーヴェン(Lil’ Beethoven)』から「醜い野郎と綺麗な娘(Ugly Guys With Beautiful Girls)」をきいてみよう。



Ugly Guys With Beautiful Girls

醜い野郎と綺麗な娘
誰でも知ってる分かりきったお話
醜い野郎と綺麗な娘
それがいったい私たちに、どういう関係があるのか?
それがいったい私たちに、どういう関係があるのか?

醜い野郎と綺麗な娘 可愛い女の子を連れた不細工な男
かれらが腕を組み街を歩いているのを目にすると
つい考えさせられてしまう
最近、心に重くのしかかってくる問題なんだ
いったいどうしてあんなに外見のレベルが違う
お互いの魅力が全くかけ離れた男と女が
それにも関わらず
男女のお付き合いをしているように見えるのは、なぜなのか?

ケムリや鏡を使ったトリックなんかじゃない
ケムリや鏡を使ったトリックなんかじゃない
ケムリや鏡を使ったトリックなんかじゃない

醜い野郎と綺麗な娘
醜い野郎と綺麗な娘
醜い野郎と綺麗な娘
(中略)
ここまでお聞きになってくれた皆さん
正直なところこの問題の答えが分からないなんて
フリをしてきた私をお許し願いたい
というのも、私は大切な人を失ったばかりなのです
とても美しかったあの人を
あの男のような奴に奪われてしまったのです
(中略)
可愛い女の子を連れた不細工な男
誰でも知っている分かりきった話なのです。
(訳詞:鈴木亨)

スパークスの歌詞には、一面では捉えきれない感情の重層化、極端な振れ幅の差異の両立といった傾向が見受けられる。悲しい感情を面白く語ったり、面白い情景を物悲しく描写したり、だ。それがキッチュやキャンプ、ポップ・アートといった表層的なスタイルにとどまらず、哲学的な示唆を含んだ領域にまで踏み込んでいる。逆にいうと、そのことについて音楽評論の側が気がついて取り上げるようになるまで、50年の年月が必要だったということだ。1982年のアルバム『パンツの中の用心棒(Angst in my pants)』収録の「愛の化け物に喰われちまった(Eaten By The Monster Of Love)」を聞いてみよう。



Eaten By The Monster Of Love

土曜の晩 まだ一人で なんの予定も入れてない
愛という化け物との 死闘が待っている
世界最強の難敵だ 今もドアの向こうで うなり声がする
化け物が通った後には 草木も生えない
噛み潰された残留が 粘着物となって吐き出されて
ニタニタと笑って 光る

親父は言う「大丈夫だ」
と、見る間に餌食にされて…
戦争よりも悪く 死よりも惨たらしい
ほとんど全滅に近い
さぁ かかってこいよ
めそめそするのは大嫌いさ

味方がまだ残ってはいる
けど彼らも 少しづつ 確実に
削られてる 削られていく
ボクはまだ すばしっこく逃げてる途中だ、けど
(訳詞:山崎春美)

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