泉谷しげる、サディスティック・ミカ・バンド、シャネルズ、熱狂の海外ライブアルバムを辿る

ねどこのせれなあで / 泉谷しげる

MCの途中でありますが、お聴きいただいたのは泉谷しげるさんの「ねどこのせれなあで」。オリジナルは1972年ですね。2枚目のアルバム『春夏秋冬』に入っておりました。ギター一本ですよ。英語が分からないんです。でもそれがなんだっていうライブですね。1976年は、フォーライフ・レコードができて、吉田拓郎さん、井上陽水さん、小室等さん、泉谷しげるさんが新しい旗を掲げた次の年ですね。泉谷さんが一番過激、今も過激ですけど、音楽的に過激だったのが1976〜1977年くらいでしょうね。すごかったですね、ライブで懐中電灯を頭につけて、スーパーマンのような格好をして飛び跳ねてたという時代に行く前ですね。トルバドールのこのライブがあったからそこに行ったんじゃないかと思ったりしております。泉谷しげるさんの1976年のアルバム『イーストからの熱い風』から「ねどこのせれなあで」をお聴きいただきました。

春夏秋冬 / 泉谷しげる

ライブアルバム『イーストからの熱い風』から「春夏秋冬」。場所がロサンゼルスだろうが、大阪だろうが東京だろうが、泉谷しげるは泉谷しげるであります。俺が客だ、俺が楽しみに来たんだと言っております。1976年7月28日、ロサンゼルスのウェストハリウッドにある老舗ライブハウス、トルバドール。オープンが1957年、老舗中の老舗ですよ。ボブ・ディラン、ニール・ヤング、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ジャニス・ジョップリン。いろいろな人たちがここでやりました。泉谷さん自身から、 あそこでやりてえんだっていう話があって半年がかりで実現した。日本人のアーティストがここでステージに立つのは初めてでありました。このライブアルバムには当時フォーライフ・マガジンの編集者だった森永博志さん、のちにPOPEYEやBRUETUSの専属ライターで世界中を旅して、素晴らしい原稿をいっぱい書いていた森永さんがルポを書いているんですけど、ライブ前に泉谷さんは黒人居住区がある話を聴いて、じゃあそこに行こうぜということで乗り込んで、そこでゲリラライブをやったという話がありました。マネージャーで元広島フォーク村の村長だった伊藤昭夫さんが、客が来るのか心配だったと書いてます。でも95%が現地の人だった。そういうライブの演奏の一端をお聴きください。

Rolling Stone Japan 編集部

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